カナビス禁止法の文化
ピーター・コーエン、ゲント大学専門家会議での講演
Source: ENCOD
Pub date: 20 Jan 2008
Subj: The Curture of the Ban on Cannabis
Lecture held at: Two country conference concerning cannabis cultivation
University Gent, 3 & 4 december 2007
Author: Peter Cohen, CEDRO, University of Amsterdam
http://www.encod.org/info/THE-CULTURE-OF-THE-BAN-ON-CANNABIS.html
今日の講演では、カナビスを禁止している文化についてお話したいと思います。メインテーマはそうした文化の起源やなぜ現在でも続いているのかといったことを探ることではありませんが、起源について少し触れておきますと、現在からおよそ100年も昔の1920年代にまで遡ることができます。当時はアヘンが大きな問題になっていたのですが、国際連盟でこの問題が議論されるかたわら、副次的問題としてカナビスが取り上げられたのです。それ以来、社会の文化や経済にはさまざまな浮き沈みがありましたが、カナビス問題は根強く残ってきたわけです。
最初に講演の構想を考えていたときには、ジュネーブで行われたこの国際連盟の古い審議の経過を詳しく取り上げようかとも思ったのですが、もはやそのことが問題なのではなく、なぜ今でもカナビスの禁止が続いているのか考えることのほうが意味があると思うようになりました。つまり、カナビス禁止文化は何らかのゴールを達成した結果として定着したのではないのかということです。この講演では、そのゴールが何なのかを探っていきたいと思います。
従って、カナビス使用についてあれこれ言われている危険性に関連する問題を探ることは今回の講演の主要なテーマではありませんが、大切なことは、そうした危険性に対する捉え方が必ずしもどの文化でも同じというわけではないということです。ギリシャとスエーデン、あるいはここベルギーでは違いますし、実際、1936年から2007年の間にそれぞれの国の特有の政治文化の中でさまざまに変わってきたのです。
私は、スエーデン、フランス、イギリスの研究者たちに質問をして、それぞれの国がカナビスの危険性をどのように定義しているのかを調査したことがあります。その詳細を述べることは今回のテーマではありませんが、ここで指摘しておきたいことは、どの地域にも当てはまるカナビス禁止の一般的で基本的な特徴として、その時々の社会の流行に沿った危険性のバージョンが作られて都合よく正当化されてきたという共通性があることです。
カナビス禁止法文化とは
まず、私が言っている 「カナビス禁止法文化」 という意味ですが、それはまずその文化が、カナビスにまつわる害悪、あるいは悪魔という話をいくつも持っていることが上げられます。そして、それが真実だと考えられていること、その正当性について細かく調べて言及するというようなことが許されていないという特徴があります。また、世界中のさまざまな政治システムや組織の中で繰り替えし是認され、最終的には、それぞれの文化の中でカナビスを禁止する何らかの法律が制定されて実行されていることを上げることができます。
そして、それぞれの政治システムが複雑に変遷しいく歴史の中で、カナビス悪害話はお互いに融合し合っていったのです。この点については、オランダのティム・ソリングが、スエーデンとフランス、オランダについて書いた、『ヨーロッパではドラッグ問題にどう対処してきたか』 (Dealing with drugs in Europe) という本の中で説得力のある説明を展開しています。
また、ジェローム・ヒメルスタインも、『キラー・ウィードからドロップアウト・ドラッグまで』 というよく知られた本の中で、カナビスの危険話の特徴について興味深い観察をしています。彼は、アメリカでは、カナビスの禁止を正当化するために危険話が使われて、極めて短期間のあいだにカナビス禁止法が制定されたと指摘しています。
禁止法は制定された1930年代のアメリカでは、カナビスが暴力や強姦、性倒錯などを引き起こすキラー・ウィードとして非難されましたが、1960年代には、カナビスは反抗文化の重要な一つの要素と見なされ、アメリカを特徴づけている消費文化への迎合を拒否してドロップアウトするためには、最初に通過しなければならない儀式のようなものになったのです。
ヒメルスタインが書いているように、アメリカではほんの数十年で、カナビスを禁止した科学的・社会的理由が劇的に変わったわけです [1]。この変化ついては、今日ここでお話しているテーマであるカナビス禁止が生き残っている理由とも関連していますので、私にとっても興味の対象になっています。
理性的な批判が通じないカナビス禁止法
この講演では、それぞれの時代や地域でどのような悪害話があったかということよりも、禁止法自体やそれが生き残ってきたのかについて探ろうとしているわけですが、それについてはこれまでの説明でもうお分かりいただけたと思います。
どのような理由で最初の禁止法が導入されたのか? それによって誰が利益を得ているのか? といったことが典型的な興味の対象になると思いますが、このことについては、後でニューヨーク市警が禁止法から恩恵を受けているという例を紹介します。
ですが、それよりも重要なのは、カナビス禁止法が一定の地位を確立してしまって、理性的な機能評価をしても通じなくなってしまっているということです。カナビス禁止法は、それが作られた本来の理由を超越して、もともと関係のなかったスピリチュアルな方面からの要求によっても支えられるようになっているのです。
今回のカンファレンスでこのような話を中心にしようと思ったのは、参加したみなさんが単なる興味本位ではなく、禁止法を維持する立場、あるいは修正を求める立場、あるいは廃止したいと思っている人もいるかもしれませんが、いずれにしてもカナビスの消費と生産についてきちんと研究してそれぞれの立場から社会に影響を与える方途を探っているアカデミックな専門家なので、カナビス禁止法を支えている文化について知っておくことが役立つと考えたからです。
神聖な殺人
ここでは、カナビス禁止法が科学的な見方など色褪せてしまうほどの神聖さを獲得しているということ示して、そうした神聖錯覚を打破したいと思っているわけですが、まず私が使っている 「神聖」 という言葉について説明しておきます。
この言葉は、オランダの人類学者であるヨーダ・フェリップスが使ったものですが、彼は、20世紀初頭のオランダでは、儀式的な殺人を神聖なのものとして行う風潮が受け入れられていたことを示すために使ったのです。
こうした殺人の必要性は、聖なる掟ということで行われたのです。殺人は、悪霊に取り付かれた重罪人から汚れを取り除いて解放すると信じられていたというわけです。フェリップスのよれば、その対象は人間だけではなく植物も含まれていたのです [2]。
私が言っている、カナビス禁止法の神聖さとはそのような意味です。禁止法の中には、政策や科学あるいは経済の通常の議論の領域では扱えない汚れを取り除こうとする信仰的な性格が横たわっているのです。それを見るために、まず最初に、禁止法のごくありふれた側面から説明します。
禁止法の恩恵
さて、ニューヨーク市警が禁止法から恩恵を受けているという話ですが、これは、ハリー・レバインがニューヨーク市のおけるカナビスの逮捕事例について調べた最近の研究で取り上げているものです [3]。
彼の主張によれば、ニューヨーク市では実際のカナビス使用や所持が増加していないのにもかかわらず、かつてない勢いでカナビス所持犯の数が大きく増えているというのです。そして、その推進力になっているのがニューヨーク市警だというわけです。彼は数え切れないほどのインタビューを繰り返した結果、市警にとっては、より多くの人を逮捕することがある種のアドバンテージになっているという結論を出しています。その理由は3つあります。
- 生産性の指標を上げるための重要な方途になっている。警察では、管理手法として生産性統計を使うことを要求されているので、高い数字を出す必要に迫られている。
- 警察官にとっては、比較的簡単で安全な仕事で超過勤務手当ての支給が受けられる機会になっている。
- 年間3000人のカナビス・ユーザーの逮捕、書類の作成、犯人の拘留、裁判、罰金、釈放などのために、多数の警察官の雇用の確保して、必要に応じてどこにでもすぐ配備できる体制になっている。悪く言えば、スタンバイ時に何の生産性にも寄与せずに暇をもて余さなくても済むように仕事を割り当てるための手段になっている [4]。
この例は、禁止法を執行する組織にとっては、禁止法が重要な機能を果していて、そこから著しいアドバンテージを受けていることを示しているわけですが、このことは公共の機関だけに限らず、カナビス・ユーザーの強制的な治療を行うような民間の企業などにも言えます。こうした企業は、アメリカだけではなく、世界中のあちこちでも育っています。
しかしながらこうした事実は、禁止法で多大な恩恵を受けている機関が、なぜ政治家の批判をほとんど受けずまたチェックの対象にもならずに済んでいるかについては何んの説明にもなっていません。それは、その理由が禁止文化そのものの中に内包されているためで、上のような恩恵はただの結果に過ぎないからです。
国がカナビスを禁止している理由
今回の講演のために、私は、スエーデン、イギリス、フランスの計5人の研究者に質問の手紙を送って、それぞれの国の最も重要な執行機関が、カナビスを禁止する理由としてどのようなことを上げているのか尋ねました。
すべての人から返事がありましたが、スエーデンから最初に返事をくれた研究者は、その理由として、カナビスが他のドラッグの踏み石になること、無気力にさせること、統合失調症を引き起こす可能性があること、を上げていました。またスエーデンの二人目の研究者は、カナビスが他のドラッグの踏み石になること、依存症を引き起こすこと、あらゆる種類の精神病が誘発されること、という返事でした。
イギリスの研究者の一人からの返事はもっと簡潔なもので、カナビスが狂気(マッドネス)を引き起こすと広く信じられていて、特に最近の効果の強い品種が人気になっていることを理由に上げていました。また、非常に古くからドラッグ研究を続けているフランスの研究者からは、さまざまな理由からカナビスが 「単に悪いもの」 とみなされているという返事がありました。彼は、また、カナビスが他のドラッグの踏み石になると広くみなされているとも書いています。
ですが、これらの理由について、科学的な意味での正当性があると主張している人は誰もいませんでした [5]。
踏み石論
返事には、共通する理由とそうでない理由がありますが、カナビスが暴力を引き起こすという理由は今ではイギリスの一人だけになっています。いずれにしでも、ここで上げられている理由については、どれも科学的には真実ではないか、あるいは非常に疑問のあるものばかりです。
カナビスが他のドラッグへの踏み石になるという話は至るところで見られますが、今では多くの研究で正しくないことが検証されています。私の大学でも、アムステルダム市民を無作為のサンプルした2つの大規模調査を行っています。この研究は、踏み石論の研究としてはかつて行われた中でも最も詳細なものの一つですが、ドラッグ使用はタバコから始まり次にアルコールへ進んで行くことが見出されています [6]。
12才以上のアムステルダム市民でカナビスまで使うようになる人はそれほど多くはなく、さらに他のドラッグまで進むというパターンは、例外的な少数を除けば著しく目立つというようなこともありません。また、例外的な人の場合でも、一般的には短期間のうちにそのドラッグの使用をやめてしまうだけであることが示されています [7]。
カナビスの踏み石論については数多くの疫学研究で否定されていますので、ここではこれ以上触れませんが、もしもっと詳しく知りたいのであれば、それらの研究を参照していただきたいと思います。
暴力、狂気、無気力
同じことは、カナビスが暴力行為や狂気を引き起こす、あるいは無気力で自堕落になるといった説にも当てはまります。ついてながら指摘しておきますと、18〜19世紀には、自堕落は自慰行為をもたらす病気とも思われていたようです [8]。
カナビスの使用による悪影響の例として頻繁に出てくる事柄は、大抵の場合、ある特定の使用パターンに限られていることでも、すべての使用パターンでも同じように成り立つものとして語られるのが普通になっています [9]。肺ガンなどがその例で、もともとはごく少数のヘビー・ユーザーにしか当てはまらないのに、あたかもすべてのユーザーが肺ガンになるように語られています。
身体的あるいは精神的悪影響を招くといった仮説は、特別の少数に当てはまることはあったとしても、まず全体に当てはまりません。たいていは、最初から前提条件にバイアスがかかっていて、カナビスを頻繁に使う人や精神病院や刑務所の入所者を注意深くサンプルに選んだりしています。
住民の中から無作為に選んだサンプルを使った調査では、こうした仮説はカナビス・ユーザーの大多数には成り立ちません。もし、カナビスの使用に対して今までとは違った考え方を持った政治勢力が多数を占めて、研究やその出版事業により多くのお金を投じるようになれば、こうした仮説に正当性がないことは明確に示されるはずです。かと言って、これまでの使われてきた仮説を過小評価すると、手痛い反発を受けることになるので避けなければなりませんが [10]。
モラル・メッセージ
カナビスの禁止法には明らかに奇妙な面があります。悪害話は、長い間に取っ替え引っ替え何回も繰り替えされているうちに信憑性が失われてきたわけですが、実際には廃れたりしていないのです。
質問に協力してもらったイギリスの二人目の研究者は、カナビスに関連しては多くの問題があるとしながらも、禁止法が社会の規範となるモラル・スタンタードを表している側面もあると指摘しています。禁止法が、カナビスを使うことは正しい生き方ではないというメッセージの伝搬役を果たしているというわけです。この伝搬役という指摘については、私も正しいと思っていますが、では誰がそのメッセージを聞くのでしょうか? 多分一部の人だけです。
実際、オランダ、ポルトガル、ギリシャなどの国のユーザーもイギリスのユーザーと同じメッセージを受け取っているわけですが、カナビス・ユーザーの割り合いはイギリスのほうがずっと高くなっています。ヨーロッパ諸国の中で、カナビス・ユーザーの割り合いがイギリスよりも高いのはチェコだけです。しかし、たとえユーザーの割り合いがはるかに低い国の当局であっても、メッセージを送らなければならないと考えている点では同じなのです。
ところが、カナビスの使用が一般化してからほぼ1世紀も経っているにもかかわらず、このメッセージが聞き届けられて、期待した効果が得られたどうかについては知っている人は誰もいないのです。明々白々なことですが、メッセージの有無がカナビスの使用率に大きな違いをもたらしていることを科学的に厳密に調べようとした試みは、ヨーロッパばかりではなくどこの国でも行われたことがないのです。
公的に批判を展開する人の席は用意されていない
ヨーロッパでカナビスの使用率が最も低いポルトガルが7%なのに対して、チェコを除いて最も高いイギリスがその4倍の30%で非常に大きな違いがあります [11]。しかし、どうしてこのような差が出てくるのか知っている人は誰もいません。誰も、何が使用率を決めている因子なのか、あるいは何らかの因子に影響を受けるのか、もしそうならばその因子とは何か、といったことを知らないのです。
ごく普通の問題ならば、このようなパズルは研究者が最も興味を抱く課題なのですが、どういう訳かカナビスの問題に関してはそうではないのです。なぜポルトガル人はあまりカナビスを吸わないのに、どうして多くのイギリス人は吸うのか、その理由を誰も知りたいとは思っていないのです。
30年以上もコーヒーショップでカナビスが買える状態にあるオランダの使用率が、どうしてポルトガルとイギリスの中間にあるのか誰も知ろうとは思っていないのです。
オランダでは、長い間、16才以上なら誰でもカナビスを買うことができました。現在では、年齢制限は18才に引き上げられましたが、18才以上の人ならば実質的の欲しいだけ買うことができます。こうした状況については、イギリスやフランスやスエーデンの当局者たちは、大災難が起こる、あるいは少なくともカナビスの使用率が非常に高くなると主張してきたわけですが、全然そうはなっていない。
でも、なぜそうならないのか誰も知ろうとは思っていないのです。知ることは適切ではないと考えて、知ろうとする人がいないのです。カナビス禁止法の文化においては、科学的な議論をする土台がないのです。禁止法をとりまく政治の舞台には、公的に批判を展開する人の席は用意されていないのです [12]。
信仰とガリレオの宿命
さて話は変わりますが、17世紀のイタリアでは、ガリレオ・ガリレイが太陽と月の運動の理論を出したために、天動説を主張していたカソリック信仰から疎まれ、モラルに対する大罪で有罪判決を受けました。そんな理論など誰も見たくなかったのです。死刑にならずに幽閉で済んだのは、彼が単に法王と古い知人だったからです。
私は、ドラッグ政策に内在する信仰が占める重要性を示すために、しばしばガリレオの宿命を例に出すことがあります。もちろん、ここで信仰と言っているのは一般的な宗教信仰のことではなく、触れてはならないタブーのような意味です。ガリレオの17世紀は必ずしも科学の進歩に反対していたわけではなく、そのような進歩が信仰の基本を弱体化させるような危険な仕事に発展すると見なされた場合に異端審問にかけられたのです。
ガリレオは科学をやっていたから異端者にされたわけではないのです。彼の理論が、当時の宗教体制の中心的教義の一つを脅かすと見なされたのです。イエズス会などは、聖書が神の言葉だけからできており、従って疑う余地にない完全に真実だとして、それに対立するものは異端だとしたのです。
聖書にある言葉と対立する理論によって中心的な教義が脅かされれば、キリスト信仰が脅かされるだけではなく、教会の体制そのものが危うくなると考えられたのです。教会がなければ、人々は救いを得ることができなくなると信じられていたのです。しかしながら、当時は、聖書の絶対確実性に対する盲目的な信念が、本当にカソリック教会を成り立たせている中核的な価値なのかどうかについては誰も考えてみようともしなかったのです。
禁止法とカナビスの使用率は無関係
もし人々が、ガリレオの宇宙観のほうが聖書やローマ教会よりも絶対に正しいと思ったとしても、本当のところ彼らは教会を離れることまでしたでしょうか? もしマスコミが、カナビスを使用しても大多数の人には実質的にリスクがないと繰り返して報道し、さらに、いささかも違法とされるような余地もなかったとしたら、人々は今よりももっとカナビスを使うようになっていたのでしょうか? みなさんは、どう思われますか?
この質問に、確信を持って答えられる人はいないと思いますが、カナビスを合法的に入手できるオランダに長年暮らしている私の経験からすれば、どちらの質問についてもNOという答えになると思います。
何故ならば、カナビスを吸っている人たちは、他のユーザーからそうすることを学んでそうしているからです。人々は身近に何らかの手本があるからやってみようと思うのです。確かに、自分の属する社会の外でカナビスが悪だと決めつけられて禁止法を維持すべきだと主張されていても、若干はあるにしろ大きく影響されるようなことまではないのです。
程度に違いはあれ、カナビス禁止法は至る所で執行されていますが、実際に禁止法の存在が、カナビスの使用状態に影響を与えていることが全体として示された例はどこにもないのです。
ユーザーは禁止法を意に介していない
厳しい禁止法が執行されているスエーデンでは、子供たちは小学校のときからナンセンスまでに誇張されたカナビスの悪害話を聞かされて育ちますが、それでも、こうした教育や処罰されることすらないポルトガルに比較すると2倍近くの人々がカナビスを使っています。
一方、成人ならば実質的に好きなだけカナビスを合法的に買えるオランダでは、田舎に住む人たちはスエーデンよりもカナビスを使っていません。ですが、都会の人たちはイギリスと同じくらいたくさん使っています。同じメッセージがオランダ中の伝えられているはずですが、そうなっているのです。
またサンフランシスコでは、カナビス・ユーザーも含めて、アムステルダムよりもたくさんの人たちがコカインを使っていますが、カナビスだけで見ても少なくとも2倍以上の人たちが使っています。しかも、たくさんの種類の中から少量を選んで簡単に買えるようになっているアムステルダムよりも、配布システムのないサンフランシスコのほうがカナビスの値段が高いという状況になっているにもかかわらず、そうなっているのです [13] [14]。
オーストラリアやアメリカ、あるいはイギリスやフランスのように厳しい執行体制を取っている大きな国であっても、非常に多くの人々が禁止法を全く無視しているのです。北アメリカの大都市では、カナビスをやったことのない人のほうが少数です。ですが、1週間に1回とか毎日のように使っている人は経験者全体からすればはるかに少ないのです。少ない理由は禁止されているからではなく、カナビスが特別に好きというわけでなかったり、社会状況として使う機会が限られているからです。
人々がどうしてカナビスを使うのかを決定付けている社会的状況や物理的な要因について調らべた研究とすれば、私たちの研究チームが、アムステルダム、ブレーメン、サンフランシスコでカナビスの使用パターンを調査して、それぞれの要因が果たしている程度の違いを比較したものがあります [15]。
カナビス禁止文化の教条的確信
カナビス禁止法の文化では、政策体制のおかしさを指摘しようとすれば変質的で好ましからぬ屁理屈議論として非難されるようになっているのです。それは、聖書の絶対確実性の文化である教会がガリレオを異端者と決めつけたのと同じです。つまり、ガリレオは天体観測と計算でその動きを示したわけですが、教典とはなぜか一致せず、その卓越した理論が教会の権威を根底から脅かすとされたのです。
ですがその一方で、教会の危険になるという考え方が本当に正しいのかかどうかについては、誰も考えようともしなかったのです。当時の人々は、もし教会がガリレオの研究を許して何の制限もなくそれを教え広めたりすれば、教会の権威が揺らぎ、人々の救済すら危うくなると信じていたのです。
カナビス禁止文化についても、同じような教条的な確信に支えられています。もし、国が禁止法の執行を停止したならば、肉体や精神の健康が脅かされると信じられているのです。
このことは、いくら禁止法が非人道的で人権を侵害し、社会に危険で破滅的な影響を及ぼし、その上実効不可能で、過大な費用がかかり、犯罪の誘発し、まともに機能していないと客観的なデータで証明しようとしても、カナビス禁止文化には受け入れる余地がなく、他との比較そのものを拒否してしまうことを意味しています。
ヒューマニズムの誤解バージョン
もちろん、ガリレオの時代の教会が最初からそうではなかったように、禁止法も最初から教条的な意味合いを帯びていたわけではありません。1924年当時のジュネーブでは禁止法が役に立たないと考えられていたのですが、その後だんだんと教条性が加えられて成長し、やがて神聖に近い位置づけを獲得したのです。
もう少し詳しく説明しますと、カナビス禁止法は人間の価値についての考え方を示しているもので、悪を内に持たない理性的な人間中心主義が関心で、国が守るべき至高善とされていたのです。従って禁止法の文化は、ヒューマニズムとしては現代の人道主義や博愛主義以前の化石化した誤解バージョンに立脚しているということができます。
禁止法の文化では、政治家は、市民を「災難」から守るために抑圧的で家父長的な政策を志向するようになります。もちろんこれは誤解バージョンなのですが、結果的には、国は、人々の肉体的・精神的な健康の守護神として教会の世俗的な部分を引き継ぐことになるのです。
そして実際のところは、禁止法は人間を中心に据えたものではなくて、個人の淡い影を相手にしているのです。禁止法の文化では、人間は保護が必要な弱い生き物で、禁止法がなくなれば途方に暮れる生き物と見なされているのです。
禁止法が存続している理由
このようにして、カナビス禁止法は保護的な浄化装置としての神聖な意味合いを獲得し、論駁しえない存在になったのです。このために大半の政治家たちは禁止法を支持し続け、疑問を挟んでも何も得るものがないと思うようになるわけです。
しかし、禁止法の名のもとに行われる愚劣で残忍な行為が逆効果を起こしているという問題が顕在化し、カナビス禁止法は市民を守ってもいないし、守ることはできないという主張が出てくることになります。
これは、17世紀のローマの教会が道化師を演じていただけで、人々は、自分の精神的幸福については自身で十分に世話できるほどに成熟していたという主張とほぼ同じです [16]。
カナビス禁止法の文化が、国による市民の保護のシンボルとして存続している限りは、どのような議論も空回りすることになります。禁止法の文化は、情報から隔絶され、取り付く島のない鎧で覆われ、道理のある議論を簡単に跳ね除けてかわしてしまうのです。
以上のことから私の論点をまとめれば、禁止法が存続しているのは、論戦に耐えうる何かがあるからではなく、神聖な意味合いがそうさせているのだ、ということになります [17]。
カナビス禁止法による異端宣告
この講演を終わるにあたって補足しておきたいのは、宗教的規範にはいかなる論理的根拠も備える必然がないということです。
「ユダヤ教101(Judaism 101)」 というアメリカのウエブサイトには、ユダヤ教の食事における「コーシェル」の重要性についての説明がありますが、そこではラビの言葉を引用しながら、コーシェル文化では、ユダヤ教の聖典である旧約聖書で指摘されている規範以外には守らなければならないことは何もないと書かれています。
また、別のラビも、従うべき聖なる規範以外には禁止されているものはないとして、「ユダヤ教においては、良い事と悪い事、善と悪、純粋と不純、聖と俗、の違いを区別する能力が非常に重要です。食べてもよいものと食べてはいけないものを選り分けるにあたって課せられた規範は、一種の自己コントロールで、最も基本的ともいえる動物的本能であってもコントロールすることを学ぶことが求められています」 と書いています。
つまり、本質的な価値観とすれば、ほんの僅かな指示とルールがあるだけなのです。もし、禁止法の起源が善であるか、あるいはそう信じられていれば、その他に補足しなけらばならない価値観は何も必要がないということになります。
宗教あるいはイデオロギーの世界では、真の信仰の証として、ルールに従ってそれを守ることが要求されているわけです。ここでは、ルールの内容や結果がどうなるかなどを問題にすることはできません。ここでは信仰そのものに誠実なことがが大切なのであって、ルールを疑うことは信仰の終わりを意味することになります。
カナビス禁止法の文化では、それを執行すること自体が信仰の証として重要なのです。さらに、人間の弱さを守るためには国に強い権限が必要だとする考え方を示す証ともなっているのです。従って、禁止法は論破の対象とはならなくなっているわけです。
カナビス禁止法の文化、あるいはコーシェル文化、あるいは聖書の絶対確実性を唱え続ける文化、このいずれもが信仰をベースに人間が作り出した規範の例で、さまざまな機構とその聖職者たちによって連綿と受け継がれて維持されてきたものなのです。
カナビス禁止法の文化では、異端者狩りには付きものの不当な措置、子供じみて矛盾だらけのファンタジー的行為、あるいは場合によっては完全に正気の沙汰ではないやり方であっても、それはたいした問題にはされないのです。いったん禁止法の文化の中に聖なる価値観が植え付けられてしまえば、その執行のためにはどんなに費用がかかろうと関係なくなってしまうのです。
謝辞
今回の講演の土台となった論文の初期バージョンに作成には、ジョブ・アーノルド、ヤン・ファン・デルタス、エリック・ファン・リーの各氏からのコメントを参考にさせていただきました。翻訳を担当してくれたビアズレー・ジャクソン氏も含めて心から感謝します。
引用文献
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この講演の行われたカンファレンスは、2007年12月3〜4日にベルギーのゲント大学で開催されたもので、ベルギーとオランダの関係者が集まってカナビスの栽培をめぐる問題が話し合われた。このカンファレンスには、科学者、警察関係者、司法関係者などの他にも、オランダ側からはマーストリヒトとテルヌーセンの市長、ベルギー側からはターンホルトの市長とファオーレンの村長も参加している。
ベルギーはコーヒーショップを開くべき、カナビス栽培のコントロールをめぐるカンファレンス (2007.12.4)
この講演では、カナビス禁止法文化が連綿と受け継がれて維持されてきた、と結ばれているが、それは、カナビス禁止法文化の文化が永遠に続くことまでは意味してはいない。それは、異端とされたガリレオの理論がやがて世の中から正当な評価を受けるようになったことからもわかる。
もちろん、ガリレオの異端審問はカトリック信仰の中のことであり、すでに勃興していたプロテスタントの世界では必ずしもガリレオをそう見ていたわけでもない。また、当時の30年戦争 (1618〜1648) に巻き込まれた側面が強く、ローマ・カソリックがドイツの神聖ローマ帝国の巨大化を恐れていたことが背景にある。
1632年にフィレンツェで出版された 『天文対話』 がすぐにローマで問題にされて、ガリレオは、翌年の1633年の異端審問で有罪とされ、死刑はまぬがれたものの幽閉されて著書は発禁になった。
しかし、幽閉されたガリレオはすぐに 『新科学対話』 の準備に取りかかっている。新しい本の原稿は1635年には完成したが、当然のことながらイタリアでは出版することができず、1638年になってからオランダのライデンにあるエルゼビル書店から刊行された。当時のオランダは、黄金の17世紀のただ中にあり、自由な出版が認められたヨーロッパ最大級の出版センターにもなっていた。
その頃のオランダは寛容社会で、1608年にはイギリスで宗教迫害を受けたピリグリム(清教徒)たちもアムステルダムに逃れてきている。翌年、ライデンに移った彼らは12年後の1620年にメイフラワーでアメリカに移住して、後にアメリカ建国の父 (ピルグリム・ファーザーズ) と呼ばれるようになった。
また、哲学や数学で有名なフランス人のルネ・デカルトも母国で迫害を恐れてオランダで研究を続け、1637年に 『方法序説』 をライデンで出版している。デカルトが出版の準備のために暮らした家がライデンのシーボルト・ハウスの隣にのこっている。
ガリレオの 『新科学対話』 はすぐに評判になり、たちまちのうちに売り切れてガリレオ本人もしばらく自分の本を手にできなかったと言われている。また、1641年には、『新科学対話』 の続編とも言える 『ユークリッドの幾何学原論』 も口述している。
この本は1674年にフェレンツェで発行されており、そのころまでにローマの影響力が衰えてきていたことを示している。ガリレオは1642年に77才で生涯を閉じているが、この年にはイギリスでニュートンが生まれている。
結局、ローマの異端審問の絶対確実性のドグマはやがて世間から支持されなくなった。このことに果たした当時のオランダ (と出版につかわれた麻の用紙) の役割を、現在のカナビス禁止文化とオランダのカナビス寛容政策に重ねて見ると、将来の行方を暗示しているように感じる。
もっとも、ローマ・カソリックが、ガリレオの名誉回復をしたのが異端審問が行われてから360年後の1984年だったという歴史もあるが……