アメリカでドラッグウオー(War on Drugs) という言葉が実際に使われ一つの政治課題として取り上げられたのは1968年の大統領選のキャンペーンからである。
周知のように、60年代のアメリカでは既成の価値観に対する反発から生まれた若者文化、カウンターカルチャーがいくつも誕生し、都市部の中産階級の10代や20代の若者の間で、それまで下層階級のドラッグであったマリファナや新たなLSDなどのドラッグの使用が流行していた[2]。
マリファナの使用者は1965年から70年にかけての5年間で18,000人から188,000人へとおよそ10倍に増加し、1971年には少なくとも2,400万人の11歳以上の若者が一度はマリファナを試したことがあると推計されており、またヘロインの静脈注射によって肝炎に感染した者の数も66年から71年にかけて約10倍に増え、70年代初頭までにヘロイン使用者はおよそ50万人にまで増加している[3] 。
1914年のハリソン法の制定以後第一次、第二次世界大戦の影響でドラッグの使用が沈静化していた時代は終わりを告げ、60年代はドラッグがアメリカ社会を急激に席巻し始めた時代であった。
このころ議会共和党は、下院司法委員会のメンバーであったドン・サンタレーリを中心に、1968年の大統領選でどのような独自の政治的争点を持つかを模索していた。
当時、民主党のジョンソン政権はベトナム戦争で共産主義と戦っていたため反共政策を訴えても民主党との明確な相違点とはならないばかりか、世論は戦争遂行に対してほぼ二分されており、反戦の主張も撤退の主張のどちらも明確にはし難い状況にあった。
一方、内政の中心課題である経済は戦争景気で好調であり、インフレ率、失業率は共に低かった。こうした中、サンタレーリが明確な政治課題として着目したのは犯罪の増加であった。
当時多くの白人の間では60年代に頻発した黒人による暴動、デモ、また貧困を原因とした犯罪による治安の悪化、また若者の間でのドラッグ使用の流行に対する不安感が増大していた。
この問題にはジョンソン政権も当時の司法長官であったニコラス・カッツエンバックを中心に、法執行と裁判に関する委員会(Commission on Law Enforcement and the Administration of Justice)を1965年に立ち上げ、犯罪に関する調査と対応を検討させている。
2年後の1967年にまとめられた報告では、「貧困と不十分な住居、失業を撲滅する為の戦争こそが、犯罪撲滅への戦争である」、「医療、精神医学、家族カウンセリングサービスが犯罪に対抗するためのサービスである。より重要なことは、アメリカの都市部のスラムの生活を向上させるすべての努力が犯罪に対する努力である」と結論し、犯罪者の取り締りよりもむしろ犯罪を発生させる社会環境の改善を主張している [4]。
また非合法ドラッグの使用に対する法の適用についても、「これらの法の適用はしばしば、民衆の中の貧困層やサブカルチャー集団に対する差別へとつながる」とし、あくまでも「貧困それ自体が犯罪を生む」というリベラルな立場にたち、麻薬問題も麻薬を使用する社会的条件の改善によって対処しようという姿勢を打ち出していた。
こうした民主党の根本原因 (root causes) 論に対し、共和党のサンタレーリは、これでは犯罪を犯した個人は悪くなくすべて社会が悪いことになってしまうと反論し、カッツエンバックの報告とは対照的に、犯罪は法を犯す人々の個人的資質の問題であるとの主張を展開した。
彼は、犯罪者に対する厳しい法的措置を盛り込んだ法案の作成を開始しこの問題に対する民主党との違いを強調し、麻薬の使用も、これは快楽を求める犯罪的な堕落した行為であるとし、これを厳しく取締る主張をすることが最良の選挙戦略であると判断した。
これに従って、ニクソンはリーダーズ・ダイジェスト誌上で、「国は犯罪の根本原因を探すことをやめ、代わりに警察官の数を増やすことに金を使うべきである。アメリカの犯罪に対するアプローチは犯罪は素早く確実に処分することである」と述べ、取り締りの強化によって麻薬問題に対処する方針を打ち出した[5]。
彼はニューヨークの犯罪の半分は麻薬中毒者によるものであると犯罪とドラッグを積極的に結びつけ、ドラッグをアメリカで最大の社会問題であると宣伝し、これを処置するための厳しい措置をとることを宣言し大統領選に勝利した。
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[2] 60年代に若者の間でドラッグの使用が広まった社会的背景として、若者の人口比率の上昇、無制限な個人的満足を奨励する価値観の広がり、マスメディアの影響などが指摘されている。Courtwright, David T (2001) Forces of habit: Drugs and the Making of the Modern World, Cambridge, Massachusetts, and London; Harvard University Press, pp. 44-45.[3] Musto, David F (1987) The American Disease: Origins of Narcotic Control, Expand Edition, New York and Oxford; Oxford University Press, p. 254.
[4] Baum, Dan (1996) Smoke and Mirrors: The War on Drugs and the Politics of Failure, Boston, New York, London; Little, Brown and Company, p. 5.
[5] Ibid., p. 7.
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本論は、アメリカ合衆国のニクソン政権から始まる20世紀後半の麻薬政策についての小史的記述であるが、その大半はこの時代から現代に至るまでアメリカで継続されているドラッグウオー政策についての記述である。
ドラッグウオーの基本的特徴は、ドラッグ使用の広がりを内外での罰則的取締りによって規制するアプローチであり、その目的の遂行には警察力だけでなく軍事力も行使するというものであり、ハームリダクション論や合法化論の対極に位置する麻薬政策である。
ドラッグウオーが過熱し始めたレーガン政権時の1981年には、アメリカ政府は内外で合わせて10億6,500万ドルをドラッグウオーに費やし、この予算はクリントン政権時の1999年には170億7,000万ドルにまで増加している。
超大国アメリカのこの政策が現在の国連の麻薬政策を決定しており、日本の麻薬政策に多大な影響を与えている。
ちなみに、現在の日本の「ダメ絶対ダメ」政策は、80年代の麻薬政策のアントレプレニュールであったナンシー・レーガンの「Just Say No 」(とにかくノーと言え)政策と同じスローガン内容である。
一方、この麻薬政策が継続されるにつれ、非合法麻薬の使用者はピーク時の70年代後半からは減少したものの、1999年にアメリカ国内におよそ1,480万人おり、12歳から17歳までの若者の10.9%が過去30日間の間に何らかの非合法麻薬を使用していると推計されている [1]。
本論では、この効果が不確かなアメリカのドラッグウオーの歴史とその社会的影響を示し、この麻薬政策の持つ問題点を明らかにし、今後の麻薬政策に関する議論の参照とすることを目的とする。
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[1] Davenport-Hines, Richard (2001) The Pursuit of Oblivion: A Global History of Narcotics 1500-2000, London; Weidenfeld & Nicolson, p. 8.
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先に「ハームリダクションの国家レベルでの実践 ─オランダモデル」として薬物政策博士X氏の論稿を掲載しましたが、今回はオランダの取り組みとは正反対の方向性を持つアメリカの政策について寄稿して頂きました。同氏の意図としては、「これによって、現行の政策の問題点や、それに変わるリベラルな政策の実現のために知っておくべき事柄が浮かび上がるのではないかと思います」とのこと。
日本の行政に多大な影響を持つアメリカの薬物政策について学び、どのような薬物施策が望ましいのかを探る手がかりになればと思います。
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ハームリダクション政策では、麻薬中毒者を社会的に再統合するため、彼らの存在の社会的ノーマライゼーションが目標として掲げられている。
そこには、非合法麻薬の使用に限らず、売春婦、ホモセクシャル、精神障害者に対するレイベリングという社会的問題が、もとより社会がある特定の集団を周辺化していることから生じた問題であるという認識と、彼らの行為に対するメインストリームの価値規準に基づく道徳的判断を括弧に入れた、一定の異質性、逸脱性を受け入れる寛容性が必要とされる。
ゆえに本稿で取り上げたカナビスの非犯罪化政策も、それがヘロイン中毒者のみを分離してカテゴリー化し社会的に周辺化するのであれば、本来の政策的理念を本質的に見失った処置と言わざるを得ない。
カナビスの非犯罪化は、オランダモデルにみられるようなハードドラッグの使用者に対する多様なサービスの提供と同時進行されることによって、その本来の政策的意図が達成されるものと筆者は考える。
麻薬問題に関するハームリダクション政策の実践にとって大きな障害となるのは、麻薬の使用全般に対して多くの人々が自然に持っている道徳的嫌悪感ではなく、むしろある道徳的規準からみて異質とみなされる他者に対する否定と排除の論理であると考える。
ゆえに麻薬問題におけるハームリダクション政策が社会に根づくためには、その政策的効果から見たプラグマティックな動機だけでなく、その前提としてマイノリティ、社会的弱者、外国人文化、サブカルチャーを包摂した社会統合を可能とするような、他者理解を志向した一定の道徳的、倫理的寛容性が要求されると考えられる。
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この出来事で我々の関心を引くのは、なぜアメリカ政府はオランダの麻薬政策に対して、すぐに分かるような作為的な統計や根拠のないセンセーショナルな発言までしてこれを攻撃せねばならないのかという点である。
オランダ政府はこれまで、自国の麻薬政策を他国でも導入するように何らかの働きかけを行ったことは一度もないし、アメリカ政府の禁止政策を公式に批判したこともない。
上述したように、オランダはヘロインの中毒者数の減少や、IDU(注射針による薬物の使用者)のHIVへの感染率の低下(1996年のオランダのIDUがHIVの感染者全体に占める割合は10%であり、これはヨーロッパ平均の39%、アメリカの50%とも比べて著しく低い水準にある)など、独自の麻薬政策によって麻薬問題に対して一定の成果をあげてきた。[33]
こうした成果は、本来同じく麻薬問題に取り組むアメリカ政府にとっても歓迎されてしかるべき成果のはずである。
しかしアメリカ政府はこれとは全く逆の態度を取り続けてきた。このアメリカ政府の態度を、筆者は非合法麻薬問題の改善に向けての合理的態度というよりは、むしろ麻薬問題に対する態度を政治的にイデオロギー化した結果生じたもの考える。
アメリカ政府は非合法麻薬の使用をいかなる形であれこれを非道徳的行為と定義し、「止めよ、さもなくば罰する」という論理でこれに対処してきた。
もともと麻薬問題における実務経験も専門的知識もない元軍人のマキャフリーがONDCPの長官に任命されたのも、クリントン政権後期に議会で共和党が多数を占めたことにより、麻薬問題にタフな姿勢を国民に示すための政治的配慮による所が大きい。
ここには、ハームリダクションが重視する中毒者の生活と生存に関する人権の尊重や、麻薬問題を改善するためのオールタナティブな手法への実証的、科学的議論は排除され、既に第1章でふれたように、非合法麻薬の存在そのものを消滅させるという道徳的命題が先行している。
結果、その麻薬政策は、非合法麻薬が全く存在しない社会(drug-free society)が理念的目標に掲げられ、使用者には完全なアブスティナンス(使用停止)を要求し、政策的有効性よりは道徳的理念に対する一切妥協のない政治的主張の実践そのものに価値の中心がシフトしているように思われる。
ドラッグウオーに批判的なアメリカ人社会学者のレイルマンが指摘するように、「いかなる統計も、またいかなる経験的に有効性が認められる発見も、完全な解決の到来という幻影を却下することはありえない」という、アメリカの麻薬政策が持つイデオロギー的性格が、この一連のオランダの麻薬政策に対するアメリカ政府の嫌悪感の基礎にあるように思える 。[34]
歴史的にアメリカの麻薬問題は、階層的社会の中での人種差別、貧困の存在と常に密接な結びつきを持ってきた。
20世紀初頭の中国人のアヘン喫煙、黒人のコカイン、70年代の都市ゲットーでのヘロイン、その後の黒人のクラックなど、麻薬問題は常にマイノリティと貧困層の周囲に広がっており、アメリカ政府による麻薬問題に対する罰則的手法は、彼ら社会的弱者をさらに社会的に周辺化してきたという事実がある。
そしてこの背後には、メインストリーム文化の担い手である社会的マジョリティの外国人や異文化の流入と浸透に対する恐怖心が働いており、それは第1部で紹介したような20世紀初頭の反麻薬運動のディスクールに共通して存在していた、ドラッグの使用と結びつけられて表象されていた中国人や黒人による白人女性へのレイプ、ないし異種混交への白人男性の恐怖に典型的に現れていると思われる。
また包摂型社会と排除型社会の対比を論じる犯罪社会学者のジョック・ヤングは、逸脱者の排除をよりマクロな社会構造に要因を求めながら、これをヨーロッパ社会も含めた大きな社会動向と捉えている。
彼によれば60年代、70年代に興隆した包摂型社会においては、差異や問題性は修正されるものと捉えられ、逸脱者も我々と同じ存在(just like us)であるか、あるいは我々の中にあるものが欠けているだけ(lacking in us)の存在とみなす差異を極小化するディスコースが一般的であった。
それに対して排除型社会である現代社会では、差異は至高の価値として承認され誇張される。
この差異を強調するディスコースは、彼によれば生物学的また文化的な本質主義(essentialism)によって確定されており、個人に存在論的安心感を与える一方で、優越性の正当化、非受容の正当化、他者への非難や悪魔化を助長し、麻薬常習者などの逸脱者を排除する土壌を生みだしているとみなされている 。[35]
こうした傾向は、特にキリスト教右派や反イスラムの言説の台頭が著しい現代のアメリカ社会に顕著な傾向と思われる。
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[33] 括弧内の統計は、Majoor, Bart “Drug Policy in the Netherlands: Waiting for a Change”in Fish, Feggerson M. (ed.) (1998) How to Legalize Drugs, Northvale, New Jersey and London; Jason Aronson INC., p.150.
[34] Ibid., p.156.
[35] Young, Jock (1999) pp.102-105.
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アメリカ合衆国では、実のところオランダよりも早く1973年から78年にかけて、オレゴン州を皮切りに11の州でカナビスの少量の所持を非犯罪化する法律が成立している。
しかし、比較的麻薬に寛容であった70年代が終わり、80年代のレーガン政権以後内外でのドラッグウオーが本格化してからは、長年に渡ってアメリカ政府はオランダの麻薬政策に批判的態度を貫いてきた。
以来、様々な客観的根拠の乏しい非難や中傷をアメリカ政府はオランダに対して行ってきている。中でもクリントン政権時のONDCP(Office of National Drug Control Policy)長官であったバリー・マキャフリーのオランダ訪問に先だって行われた批判は有名である。
この一連の出来事は1998年の7月の始め、マキャフリーがホワイトハウスの麻薬政策の責任者としてオランダへの視察旅行を発表したところから始まる。
マキャフリーはオランダ訪問に先立ち、7月9日のCNNのインタビュー番組の中で、オランダの麻薬問題に対するアプローチを「全くの大失敗」(unmitigated disaster)と評し、「オランダの若者の間では麻薬中毒者の割合がこの間劇的に増加する傾向にあり、一方我々は減少している」と発言した。[27]
さらに彼はその4日後の13日には訪問先のストックホルムでの記者会見で、ソフトドラッグとハードドラッグを区別しない禁止政策を維持しているスウエーデンの麻薬政策を称賛したうえで、アメリカでは人口10万人に対して8.22件の殺人事件が発生しているの対し、オランダでは17.58件の殺人事件が発生し、さらに犯罪件数全体でも人口10万人に対しアメリカは5,278件であるが、オランダは 7,928件とおよそ40%以上もオランダの方が犯罪発生率が高いという統計を示し、「その原因はドラッグである」との発言を行った。[28]
ONDCPのスタッフがどのようなリソースからこの統計を持ちだし、オランダの殺人と犯罪の発生率と麻薬との因果関係を証明したのかは定かではないが、当然この発言に対してオランダの統計中央局(CBS)はその誤りをすぐに指摘した。
翌14日に発表されたオランダCBSによる統計によれば、マキャフリーが持ちだした1995年の実際のオランダでの殺人の発生率は、人口10万人に対し1.8人とアメリカのほぼ4分の1で、マキャフリーの統計は未遂を含めた数字であったことが明らかとなった。[29]
マキャフリーの発言に対しオランダ大使館が正式な抗議を行ったところ、ONDCP副長官のジム・マクドナーは15日のワシントンポスト紙上でこのCBSの統計に対し、「仮にそれは正しいとしよう。しかし依然としてオランダ社会はより暴力的で、殺人に対し適切な対応をしておらず、それは自慢するようなことではない」と述べ、事実上オランダの抗議を無視し一切謝罪することもなかった。[30]
このマキャフリーの一連の発言に対しオランダでは、保守的なキリスト教民主系の新聞Trouwでさえ、一面でマキャフリーの発言を「統計の乱用」と批判し、同じく自国の麻薬政策に批判的な保守系新聞、De Volkskrantもその社説の中で、アメリカは「既にドラッグウオーに敗戦」しており、マキャフリーの間違いだらけの申し立ては「禁止政策の破綻」を証明しているもので、アメリカの麻薬撲滅運動は既に「脱線してしまっている」という主張を掲載した。[31]
これと同様のアメリカの役人による発言は、NIDA(National Institute on Drug Abuse)の創設時の長官であったロバート・デュポンによる、フォンデルパーク(アムステルダムにある公園)のオランダ人の若者を、「カナビスでストーンしたゾンビ達」と評した発言や、また他のドラッグツァーリによる、「アムステルダムの通りは、ジャンキーにチップを渡しながらでなければ歩くことはできない」などの発言が有名である。[32]
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[27] Portland NORML News, July 15, 1998 [http://www.pdxnorml.org/980715.html].
[28] Reuters, 13 Jul 1998, “U.S. Drug Czar Bashes Dutch Policy on Eve of Visit, Monday”.
[29] Portland NORML News, op.cit.
[30] Reinarman, C. (1998) “Why Dutch Drug Policy Threatens the U.S.” (Published in Dutch), Het Parool, July 30.
[31] Ibid.
[32] Ibid.
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こうしたハードドラッグとソフトドラッグマーケットの分離、草の根レベルでの中毒者へのハームリダクションプログラムの提供によって、オランダでは1980年代の始めには20代中頃であったヘロイン中毒者の平均年齢は、現在ではおよそ40歳程度にまで上がっており、新たにヘロインの使用を開始する若者の数は大きく減少傾向にある。
人口1,000人あたりのハードドラッグ(ヘロイン、コカイン)の使用者数の割合は、オランダ2.5人、スウエーデン3人、フランス3.9人、イギリス5.6人、イタリア7.2人と、EU域内でも低い水準を保っている 。[21]
またアメリカとの比較では、12歳以上のヘロインの生涯使用経験の割合は、オランダが0.4%であるのに対し、アメリカは1.4%となっている 。[22]
カナビスの非犯罪化は、しばしば反対者からは先のカナビスはハードドラッグへの入り口となるゲートウエイドラッグであるという仮説によって批判されているが、少なくともオランダにはこの仮説はあてはまっていない。
またオランダではカナビスの使用者の割合もイギリス、フランスよりも低い数値を示しており、厳格な禁止政策を実施しているアメリカと比べ、2001年の統計によれば12歳以上で過去1ヶ月間にカナビスを使用した者の割合は、アメリカが5.4%であるのに対し、オランダは3.0%にとどまっている 。[23]
またカナビス使用者がオランダでも特に集中しているアムステルダムと、カナビスの積極的な禁止政策がとられているサンフランシスコとのカナビスの使用状況の比較調査によれば、一般的にカナビスのカウンター販売が行われているアムステルダムの方が、使用開始年齢、使用者数の割合、使用頻度などが顕著に高くなることが期待されるところであるが、両都市でのカナビスの平均使用開始年齢(AMS:16.95、SF: 16.43 )、過去3ヶ月間の使用状況(毎日AMS: 9%、SF: 5%、週に1度以上 AMS: 19%、SF: 15%、週に1度以下 AMS: 21%、SF: 34%、使用していない AMS: 50%、SF: 46%)にはほとんど差は認められなかった 。[24]
これは逆に言えば、サンフランシスコではカナビスの禁止政策がその需要と供給(入手可能性)にほとんど影響を与えていないことを証明する調査結果ともいえる。
またハードドラッグに関しては、両都市でのアヘン系麻薬の生涯使用経験と最近3ヶ月間の使用者数の割合は、アムステルダムがそれぞれ21.8%・0.5%であるのに対し、サンフランシスコは35.5%・2.7%、またクラックコカインでは、アムステルダムが3.7%・0.5%であるのに対し、サンフランシスコでは18.1%・1.1%と、使用麻薬のトレンドに両都市間での違いがあるとはいえ、禁止政策を実施しているサンフランシスコの方が高い数値を示している 。[25]
このように、少なくともオランダでは、他の国と比べてもカナビスの非犯罪化は反対者が危惧するようなカナビスの使用者の増加を招いておらず、またヘロイン使用の新規参入の防止にも一定の効果をもたらしているといえる。
こうした政策的有効性が統計調査によって証明された結果、当初はオランダの政策に批判的であったドイツやフランスとの間でも、オランダ型ハームリダクションの協同研究、ソーシャルワーカー間の交流など、オランダの麻薬政策に対する地方政府、草の根レベルでの理解が進んでいる。
以前フランスではジャック・シラクがオランダの麻薬政策を批判し、フランス政府が行った核実験よりもオランダの麻薬政策の方が危険だという批判を行ったが、オランダの麻薬政策に関する理解と麻薬問題に対する二国間の関係は近年徐々に改善されてきている 。[26]
またドイツでは、メタドン治療の普及と94年の憲法裁判所における麻薬の個人的使用に対する取締り緩和の決定により、現在オランダに類似したハームリダクション政策が実施されつつある。
しかしこのオランダの麻薬政策は、国際的な麻薬禁止レジームをリードしているアメリカ政府からは依然として厳しい批判を受け続けている状況にある。
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[21] Keizer, Bob(2001) The Netherlands' Drug Policy, Paper to be presented at the hearing of the Special Committee on illegal Drugs, Ottawa, November 19 2001, [http://www.parl.gc.ca/37/1/parlbus/commbus/senate/Com-e/ille-e/Presentation-e/keizer-e.htm].
[22] アメリカの数値は U.S. Department of Health and Human Services (HHS), Substance Abuse and Mental Health Services Administration (August 2002) National Household Survey on Drug Abuse: Volume I. Summary of National Findings, Washington, DC: HHS, p. 109, Table H.1. オランダの数値は Trimbos Institute (November 2002) "Report to the EMCDDA by the Reitox National Focal Point, The Netherlands Drug Situation 2002" Lisboa, Portugal; European Monitoring Centre for Drugs and Drug Addiction, p. 28, Table 2.1.
[23] Ibid.
[24] Reinarman, Craig., Cohen, Peter D.A., Kaal, Hendrien L. (May 2004) “The Limited Relevance of Drug Policy: Cannabis in Amsterdam and in San Francisco”, American Journal of Public Health Vol. 94, No. 5, pp.837-838.
[25] Ibid., p.840.
[26] Keizer , Bob(2001)op.cit.
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ではカナビスの非犯罪化は実際にどのように実施され、またオランダの麻薬問題の改善にどのような効果をもたらしてきたのであろうか。
上述したようにカナビスの非犯罪化は、カナビスの使用者をハードドラッグのマーケットから引き離すことを目的として実施された。
カナビスが非犯罪化された70年代当初は、ストリートの密売人を排除するため、カナビスは国や地方公共団体が出資して作られたユースセンター(アムステルダムでは現在はクラブやコンサート会場として有名なMelkwegやParadisoなど)でハウスディーラーと呼ばれる人々によって販売されていた。
こうして警察がストリートの密売人への取締りを継続する一方で、販売状況を監督、統制できるハウスディーラーの販売が容認されたため、カナビスのブラックマーケットは徐々に縮小していく。
1979年には正式にハウスディーラーのカナビス及びハッシュの販売に関する4つのガイドラインが設けられ、後に加えられた1項目を含め、このガイドラインは後述するその後のコーヒーショップでのカナビス販売に対する5つの基本的な規制項目となり、現在でもカナビスの販売者にはその厳守が義務づけられている。
その内容は、宣伝の禁止(Affichering)、ハードドラッグの販売の禁止(Hard drugs)、騒音などの近隣への迷惑の禁止(Overlast)、未成年者(18歳未満)への販売と立ち入りの禁止(Jongeren)、卸売りが可能な量(500グラム)の在庫所有の禁止(Grote hoeveelheden)であり、これらの頭文字をとってAHOJ-Gクライテリアと呼ばれている 。[16]
その他基本的な禁止事項としては、1ヶ所での5グラム以上の販売の禁止、通信販売の禁止、アルコールを同時に販売することの禁止(一部アルコールを販売している店もあるが、現在当局は新たなアルコールの販売ライセンスをコーヒーショップには発行していない)などが義務づけられている 。[17]
またその他地方公共団体によっては誓約条項という形で、駐車場の設置の禁止、夜10時半までの閉店などの追加的規制が課せられている。
1980年代に入ると先のコーヒーショップと呼ばれるパブやカフェのようなスタイルの店でカナビスは販売されるようになった。当初、当局はコーヒーショップへの取締りを積極的に行ったが徐々に販売が容認されるようになり、やがて主にヘロイン中毒者が行っていたストリートでの密売・ユースセンターのハウスディーラー販売を圧倒し、カナビスの主要な小売り形態として定着していく。それとともにカナビスの使用者がヘロインの使用者と接触する機会は減少し、80年代の早い時期にソフトドラッグとハードドラッグのマーケットの分離はほぼ完成した 。[18]
またカナビスの非犯罪化によるマーケットの分離によって新規のヘロイン使用者数を抑える一方で、既にヘロインの使用を開始している者に対しては、Junkiebond(ロッテルダム)、Jellinekcentre(アムステルダム)、Main Foundation(アムステルダム)など、政府や市からの資金援助を受けた団体が、様々なハームリダクションプログラムを同じ80年代始め頃から実施してきた。それぞれの団体が、移動バスによるメタドンやコンドームの配付、注射針の無償交換、中毒者への健康相談、麻薬の使用に関する情報誌の配付などを行い、麻薬使用者が抱える問題の改善に取り組んでいる 。[19]
こうした逮捕、拘禁に代わるサービスの提供を通じ、支援者と中毒者とが接点を持ち、中毒者の抱える様々な問題の相談に乗り、フォーマル、インフォーマルなカウンセリングを通じて、最終的にアブスティナンス(使用の完全停止)を目指すプログラムが提供されている。アムステルダムでは、およそ60-80%の中毒者がこれらの支援プログラムを通じて支援団体と何らかの接触を持っており、彼らの活動が麻薬問題の改善に向けての不可欠な要素となっている 。[20]
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[16] Ibid., p.69.
[17] 留学先のアムステルダム大学での最初の大学での全体オリエンテーションの際にも、大学のプログラムマネージャーがカナビスとアルコールとは併用しないようすべての留学生に注意を行っていた。
[18] その後アムステルダムでは、コーヒーショップの数が急増し1990年にはその数は480軒にまで上った。しかしアメリカ、フランス、ドイツ、北欧諸国などからの要請を受け、1990年に税務署の他、公衆衛生、ライセンス許可、麻薬取締り、社会福祉などの関係部署の合同によるHit-Teamsをアムステルダム市が組織し、先のクライテリアに違反していたコーヒーショップを厳しく取締りその数を大幅に減少させた。筆者が留学していた2001年には市内で279軒のコーヒーショップが営業しており、現在その数はおよそ300軒弱程度で安定している。またその道徳的善し悪しは別として、現在コーヒーショップは社会福祉税の貴重な財源としてだけでなく、アムステルダムの重要な観光資源として経済的に大きな役割を果たしている。
[19] 筆者は2003年にヤリネック(Jellinekcentre)で勤務していた看護士にインタビューをしたが、2003年の選挙による政権交代以後、ヘロイン中毒者に対する警察の取締りが厳しくなる傾向がみられるようになり今後の活動に不安を持っていた。
[20] Marlatt, G.Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing
High-Risk Behaviors, New York and London; The Guilford Press, p.35.
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こうした法適用の考え方の特殊性とは別に、オランダ人社会学者のコルフは、1976年のカナビスの非犯罪化の決定にはヘロイン中毒者の増加という問題以外に、カナビスの使用者それ自体の増加を背景にした、医療専門家の間でのカナビス使用者に対する認識論的レベルでの態度の変化が影響していることを指摘する 。[12]
上述したように、当初カナビスの使用者は被差別的な社会階層である「ニグロ」の習慣であった。そのころはカナビスの使用に対して医療専門家らは、現在でも日本の厚生労働省がカナビスの副作用として認定しているカナビス精神病や、意欲喪失シンドロームなどを誘発する危険な行為であり、ハードドラッグの使用への入り口となる危険な麻薬(いわゆるstepping-stoneあるいはgateway drug)として認識されていた。
しかし60年代以降、カナビスの使用者が中産階級化(enbourgeoisement)し、使用者の社会階層が「普通の若者」へと変化したことによって、カナビスの使用に対する認知的ノーマライゼーションが起きた。
20世紀初頭のアメリカで問題となった中国人のアヘン喫煙、黒人のコカイン、アイルランド人移民の飲酒と同様、ドラッグの使用やある特定集団の習慣に対する嫌悪感や道徳的反発は、それを実践している集団の社会的地位と密接に結びついており、使用者の社会階層が低ければ低いほど彼らに逸脱者としてのレイベリングが行われる傾向が強くなることがコートライトによって指摘されているように [13]、オランダではカナビスの使用者が中産階級化したことにより、その使用は病理学的行為からレクリエーショナルな行為へと社会的な認知変化が起き、カナビス使用者に対するスティグマ化が急速に影を潜めていった。
このような他の社会的価値規準とリンクした道徳的認知の変化という社会的条件があって初めて、オランダではカナビスの非犯罪化論が、荒唐無稽な言説から一定の社会的妥当性を持つ言説へと変化したのである。
またこれと関連して、コルフはカナビスの非犯罪化にあたって、これを支持する若者の社会運動が果たした影響をあげる。
社会学者のブルデューは権力あるいは支配構造の源泉として、経済資本、文化資本と社会資本の三つをあげているが、コルフはオランダ人社会学者のリッセンバーグ(Lissenberg, E)がこれに加えた道徳資本(moral capital)という概念に着目する 。[14]
多くの政策は、道徳的価値を決定する権力を付与された特定の集団によってその善し悪しが判断され、その判断を通じて制度化されたり実践される政策によって社会秩序は維持ないしは再生産されている。
麻薬行政においてこの道徳資本を握っているのは、医療や司法などの専門家集団であり、彼らにとって道徳的に「正しい」とされる麻薬政策が一般的に道徳的にも正しいものとして制度化される。
しかしオランダでは麻薬問題に対処する政策決定に際し、異なった道徳的価値を持つ若者やサブカルチャー集団など多様な社会集団が発する意見を尊重した。
60年代後半のアムステルダム市議会では、新しく結成された政党の若いメンバーが当選し、彼らはメインストリームの文化に抵抗し市庁舎内でハッシュを喫煙したり、また保険行政の担当大臣を母親に持つ当時の有名なカナビス非犯罪化論者であったコース・ツヴァルトが、毎週ラジオ番組の中でカナビスの価格と質を放送するなどの行動をとった。これらの若者を中心とした運動が社会的に弾圧されることなく容認されたことは、麻薬政策の転換を引き起こす新たな道徳的コンセンサスの形成に大きな役割を果たしたといえる 。[15]
このようにオランダでのカナビスの非犯罪化は、ヘロイン使用者の増加、カナビス使用者の社会層の変化、サブカルチャー運動に対する一定の理解と容認、またオランダ独自の法執行システムという多様な社会的条件が揃って初めて制度化したものである。
ゆえにこの制度を単純に社会的背景の異なる他の国や地域に適用しようという考えには一定の慎重さが必要である。
しかしながら90年代を通じて、スイス、ドイツ、スペイン、ベルギー、イタリアがオランダと同様のカナビスとハードドラッグを法的に明確に区別する方向性に麻薬政策をシフトさせ、2001年にはポルトガルがカナビスを完全に非犯罪化した。
また2004年1月にはイギリスがカナビスをクラスBドラッグからクラスCドラッグへとダウングレードさせ、単純所持は依然として非合法ではあるものの実質的にほとんど逮捕、起訴されることはなくなった。またヨーロッパ以外では、カナダとニュージーランドが2004年現在カナビスの非犯罪化を検討中という状況にある。
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[12] Ibid., pp.50-51.
[13] Courtwright, David T. “The Rise and Fall and Rise of Cocaine in the United States”in Goodman J., Lovejoy, P.E. Sherratt, A. (1995) Consuming Habits: Drug in History and Anthropology, New York and London; Routledge, p. 206.
[14]Korf, Dirk J. (1995) op.cit., p.51.
[15]しかしながらオランダ国民のすべてがカナビスの非犯罪化や喫煙に賛成していると考えるのは大きな誤解である。1970年から行われている世論調査では、一定して16歳以上の国民の3分の2がカナビスやハッシュの使用を厳しく罰するべきと考えており、この割合はドイツよりも高い。Ibid., p.52. 特に保守層が多い地方では、カナビスの喫煙に対して否定的見方が一般的である。にもかかわらずこうした政策が維持されているのは、筆者がオランダで何人かのオランダ人にインタビューした限り、この政策の持つ合理性と一定の効果が国民の間で認められているからと考えられる。
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オランダのハームリダクション政策の中でも、各国から賛否両論含めて最も注目を集めているのはマリファナ及びハッシュ(大麻樹脂)の所持と販売の非犯罪化であろう。
この制度は、上述した70年代から広まりつつあったヘロインを代表とするハードドラッグと、ソフトドラッグ(カナビス)との法的区別を明確に設け、ソフトドラッグユーザーをハードドラッグのマーケットから分離させヘロインに接触する機会を減らし、ヘロインの使用者数を増加させないことを目的としている。
このカナビスの非犯罪化という考えは、60年代の若者のカウンターカルチャー的な体制批判の中から生まれた考え方というだけではなく、オランダでは実のところ社会科学者らによって早い段階から提唱されていた政策であった。
1968年の社会心理学者のコーエンによる最初の非合法麻薬に関する実証的研究Drugs, Druggebruikers en Drugsceneや、1971年の犯罪学者フルスマンによる学際的なワーキンググループの研究の中で、既にカナビスの非犯罪化が提唱されている 。[8]
行政レベルでは1968年にバーン・コミッティーとして知られる麻薬調査委員会が発足し、それまで医療、医薬、司法の専門家のみで構成されていた麻薬問題の公式な専門家集団に、当時の文化・娯楽・社会福祉省(CRM)が加わり、CRMによって社会科学、行動科学の専門家が加えられ問題の学際的研究が進められている。
1972年には麻薬調査委員会による通称バーン報告書と呼ばれる調査結果がまとめられ、その中でカナビスの非犯罪化が慎重にではあるが初めて公式に提唱されている 。[9]
この一連の調査に基づく非犯罪化政策の提唱には、麻薬にはそれぞれ異なった危険性があり、ハードドラッグとソフトドラッグの区別をつけずに使用者を一様に一つのカテゴリーに包摂し犯罪化することは、ソフトドラッグの使用者を結果的にハードドラッグのマーケットに依存、接近させ、かえってハードドラッグの使用を助長させてしまうという調査結果がその根拠となっている。
この委員会からの指摘を受けて、1976年にはカナビスの非犯罪化が制度化され、30グラムまでの所持が最高でも1ヶ月の禁固刑へと減刑されることになった。
しかしここで誤解してはならないのは、オランダでもカナビスの所持と販売は現在でも法的に禁止されている(合法化されていない)という点である。
ただしこの罪を犯しているものが、犯罪者化されることはほとんどない。
この一見矛盾した制度には、オランダの法システムの基本的特徴である便宜主義の原理(expediency principle)が働いている 。[10]
この原理は、犯罪化しうる行為の起訴、告発に対して、職権者が裁判所の許可なくこれを差し控えることを認めるものである。
この原理の適用には通常二種類あり、まず消極的適用(negative application)では、何らかの犯罪化しうる行為が発見された際に、この行為を実際に犯罪化するかしないかは、見逃すに足るだけの相当の理由がある時にのみ個々の場合に応じて判断され実行される。つまり個々のケースにおいて、ある特別な条件がない限りは法を執行するという法の適用制度であり、このタイプの便宜主義は日本を含め多くの国で採用されている。
これに対して便宜主義の原理の積極的適用(positive application)では、ある行為を禁止する法律の存在自体が、その行為を実際に犯罪化するかどうかの判断の決定的根拠とはみなされない。この適用制度では、法の執行とは公共の利益に従属するものと考えられ、公共の利益という優先事項からみて、法の執行が不適切であるならばこれは行うべきではないと判断される。
オランダ型の積極的適用では、消極的適用のような個々のケースにおける判断は行われず、一律に法執行の停止が認められている。
消極的適用では、ある条件が存在すれば犯罪化しないという判断が行われるが、積極的適用では逆にある条件が存在すればそれは犯罪化されるという逆の考え方に立つ。
この積極的便宜主義の原理がオランダのカナビスの非犯罪化には適用されているのである。このオランダのカナビスに対する積極的便宜主義の適用には明確なガイドラインが設けられており、麻薬事犯に対しては「麻薬事犯の捜査と起訴に関するガイドライン」が設けられ、捜査や拘留を行うかどうかの基準となっている。カナビスの国際的輸入、輸出という違反行為に対しては、警察による捜査、身柄の確保、裁判までの拘留が要求される一方で、30グラムまでのカナビスの所持という違反行為に対しては、捜査なし、身柄の確保なし、裁判前の拘留なし、という規定が設けられている 。[11]
こうしたオランダ独自の法執行システムによって、カナビスの非犯罪化という制度は法的にその実施が可能となっているのである。
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[8] Korf, Dirk J. (1995) op.cit., p.44.
[9] Ibid., p.45.
[10] Ibid., p.58.
[11] Ibid., p.60.
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オランダで最初の国内の麻薬規制に関する法律は、1919年に制定されたアヘン法から始まるが、この法律はもともと国内で何らかの麻薬問題が生じたために制定された法律ではない。
この法律は、アメリカ主導によって開催された1909年の上海会議、1911年のハーグ会議に、オランダがアヘンとコカインの生産国として参加した結果、アメリカからの圧力と国際協調の目的で制定されたものである。
そのため当時、実際にこの法律が適用された逮捕や起訴が行われることはほとんどなく、医薬品の規制法程度の意味しか持つことはなかった 。[2]
オランダがアヘン法の実際的な適用を開始するのは第二次世界大戦後からである。
戦後1950年代のオランダでは、ポルトガル領東アフリカ(現在のモザンピーク)から麻製品の生産を名目にカナビスが輸入され、そのほとんどが黒人によって消費されていた。
しかしアヘン法ではカナビスは規制の対象になっていなかったため、当時黒人を中心としたカナビスの使用者が実際に取締りや起訴されることはほとんどなかった 。[3]
しかし戦後ドイツに駐屯していたアメリカの黒人兵がアムステルダムまでカナビスを買いに来ていたことがアメリカによって問題化されると、オランダは1953年にアヘン法を改定し、カナビスの所持と販売にも罰則規定を設け、アムステルダムに麻薬の取締りに特化した警察ユニットを配備した 。[4]
その結果1955年には、アメリカ軍との共同作戦による3人のアメリカ兵の逮捕を含む国内最初のカナビスの逮捕者を出すことになる。
しかしその後60年代中頃まではカナビスに関する違反者が逮捕、起訴されることは稀で、仮にアヘン法によって逮捕されても数週間か数ヶ月で釈放されるのが普通で、また逮捕者の多くはアヘン喫煙を行っていた中国人移民達であった 。[5]
状況が変化したのは1960年代後半からである。1965年にアヘン法で逮捕された人数はわずか30人程であったが、1970年には1,000人まで増え、その大半がカナビスを使用する白人の若者達によって占められていた 。[6]
この背景には60年代のオランダでも、アメリカ同様、若者の体制批判やサブカルチャーへの傾倒が進み、マリファナやLSDの使用は新しい若者文化のシンボリックな存在となっていたことがあげられる。
また時を同じくして、ゴールデントライアングル産のヘロインがヨーロッパに流入するようになると、オランダでも70年代初頭からヘロイン中毒者が増加した。オランダ人の麻薬問題の専門家であるグルントによれば、
国家及び地方の当局の当初の反応は、今日我々が多くの他の国々でみている反応とさほど異なることはなかった。すなわち以下のようなシンプルな言説、これは望まれていない現象であり、われわれはあらゆる手段でもってこれを取り除かねばならない。あらゆる手段とは抑圧的な法的取締り政策であり迅速な麻薬禁止の運動である 。
しかしその後オランダの麻薬政策は、このようなゼロ・トレランスポリシーを基本とするアメリカ型の禁止政策とは異なる道を歩むことになる。[7]
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[2] Korf, Dirk J. (1995) Dutch Treat: Formal Control and Illicit Drug Use in the Netherlands, Amsterdam; Thesis Publishers, p.2.
[3] Ibid., p.53.
[4] Ibid., p.4.
[5] Ibid., p.53.
[6] Ibid., pp.53-54.
[7] Grund, J.P.C. (1989) “Where Do We Go from Here? The Future of Dutch Drug Policy”, British Journal of Addiction, 84, p.993.
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オランダはハームリダクション政策を国をあげて実践している数少ない国の一つである。
有名なカナビスのカウンター販売に始まり、ヘロイン中毒者を逮捕することなくメタドンバスが町を巡回し代替物質を配り、市の財政支援を受けている注射部屋では持参のヘロインを支給される注射針と消毒薬で使用することができる。
ここでは筆者のオランダ、アムステルダム大学での2年間の麻薬政策の研究を踏まえ、特に内外でも関心の高いオランダのカナビス(マリファナ及びハッシュ)の非犯罪化政策に焦点をあて、オランダのハームリダクション政策がどのような歴史と政策決定の過程を経て制度化され、またそれがいかなる実質的なハームリダクション(有害性の縮減)効果を生みだしてきたのかを論じる。
また、オランダとアメリカ合衆国の麻薬政策との相違点にも触れ、両国の麻薬政策に映し出される異なる社会統合のモデルにも言及し、麻薬問題に対するハームリダクション的アプローチと罰則的(punitive)アプローチの政策理念の相違点にも言及する。
この分析を通じ、ハームリダクション政策が、ハードドラッグの中毒者に対して排除型(exclusive)モデルではなく、包摂型(inclusive)モデルとして機能する麻薬政策であることを明らかにすることが本稿の目的である 。[1]
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[1] この排除型、包摂型の対比は、イギリスの犯罪社会学者、Young, Jock (1999) The Exclusive Society, London, Thousand Oaks and New Delhi, Sage Publication. による。ヤングは後期近代社会を排除型社会と位置づけ、一次労働市場の縮小、市場価値が増大する経済構造、個人主義化などマクロな社会変動を要因として、社会統制の様態、市民の精神構造、犯罪学のディスクールが逸脱者を排除する方向性に進んでいることを本書で指摘している。
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ハームリダクション政策(有害性縮減政策)とは、ヨーロッパやアメリカでソフトドラック(主にカナビス)の個人使用を非犯罪化することで、それを犯罪として厳罰化することにより生じる他の社会的有害性を実質的に縮減させることを目的とした政策です。
このハームリダクションの考え方は、薬物問題以外でも多くのコントラバーシャルな社会問題の対策の中に幅広く認められます。
例えばメキシコとアメリカの国境付近で違法入国者が密入国の最中に死亡する事件を回避するため、メキシコ政府がサバイバルマニュアルのパンフレットを配布した事例があります。
法的には不法入国は違法ではあるが、実際に実行するものが後を絶たない以上、彼らの生命を保護する為にはこうしたパンフレットの存在はその目的にとって有効な政策です。
また中学・高校で生徒にコンドームを配布し、彼らの性病感染や妊娠を防ごうとする社会運動の事例も同じ考え方です。つまり、理念的には彼らの性行為は望ましくないが、実際に彼らの多くが性行為を行っている以上、彼らが安全に性行為を行えるようにしようという考え方です。
このように、ハームリダクションの考え方では、硬直化する危険性が常にある道徳的・法的要請を反省的に捉え、ある社会状況が生み出す人間の生命・身体の危険性を極力回避させるために有効な手段を優先させます。
以下に紹介する論文の目的のひとつは、このようなハームリダクションが、オランダのカナビスの非犯罪化政策の中でどのように実践されているのかを明らかにすることです。
これをまずご一読いただき、皆様とともに日本の政策に今後どのような示唆が可能なのかを一緒に考えて行くことができればと思います。
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第1回に続き、「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの検証です。
筆者は薬物政策の研究者で、大麻取締法と国際法との関係、各国の薬物政策について、専門的な知識をお持ちです。
個人的な大麻の栽培や所持で逮捕されない日本社会を実現するための課題は何か。論点整理を含め、政策的な課題など、私たちや政策担当者たちにレクチャーするような論稿をお願いしました。
* * *
大麻を乱用すると気管支や喉を痛めるほか、免疫力の低下や白血球の減少などの深刻な症状も報告されています。また「大麻精神病」と呼ばれる独特の妄想や異常行動、思考力低下などを引き起こし普通の社会生活を送れなくなるだけではなく犯罪の原因となる場合もあります。また、乱用を止めてもフラッシュバックという後遺症が長期にわたって残るため軽い気持ちで始めたつもりが一生の問題となってしまうのです。
アメリカではNational Institute on Drug AbuseとU.S. Department of Health and Human Serivesの公的機関によって定期的にMonitoring the Futureという若者の薬物使用に関するレポートが発表されています。
その2002年の調査によれば、全米の8年生・10年生・12年生(日本でいう中学2年生から高校3年生まで)の53%が何らかの非合法麻薬の使用を経験しており、うち30%がマリファナ以外の麻薬も使用したと回答しております。
またカリフォルニア州で定期的に行われている同様の調査、Eighth Biennial Statewide Survey of Drug and Alcohol Use Among California Students in Grades 7,9 and 11では、9年生の24%が使用(自己申告回答)、53%が友人の使用を回答しております。11年生ですと、同じ数値がそれぞれ45%、72%へと増加します。
これらの統計から分かることは、アメリカ社会ではすでにマリファナ使用のノーマライゼーション化が進んでおり、多数の若者がマリファナを使用、あるいは使用経験があるといえます。
仮に乱用防止センターが主張するような、大麻の乱用(misuse)つまり使用によって、妄想行動、知能低下、異常行動、仮に使用を中止してもフラッシュバックなどの後遺症が長期に残るとすれば、アメリカ社会の若者の間には、日本などマリファナ使用者が比較的少ない国に比べ、顕著に精神病、精神障害の発症率が高くなっていなければならないことになりますが、実際にはそうなっていません。
またマリファナの使用が非犯罪化されているオランダ・スペイン・スイスなどでも同様の顕著な精神障害の発症が認められるか、社会問題化されていなければなりませんが、マリファナの個人使用の非犯罪化が継続されています。
また、Hall, W. Cannabis and psychosis. Drug and Alcohol Review, 1998, 17, 433-444..はオーストラリアでのマリファナ使用と精神病との関係を研究した論文ですが、本書では、マリファナは感受性の非常に強い個人には精神病の引き金となりうるが、人口レベルの統計として現れるほどの割合ではないと結論されています。
オーストラリアでは、二州でカナビスの使用が非犯罪化されており、他の州も事実上非犯罪化されている状況にあります。こうした政策の実施はカナビスの健康・精神的影響が、使用を厳罰化するほどの統計的な社会的影響がなく、むしろ厳罰化することによるハームリダクションの視点からみたデメリットの方が大きいとの政治的判断が働いているからです。
金遣いも荒くなりますし、使途など明確な説明が付けられないことも多くなりますので、これらもある種のヒントになります。家庭から頻繁に物が無くなったりする場合、大麻との交換や入手資金として使われていることもあります。
大麻使用者が、購入資金のため家庭から金品を持ち出したりするという指摘は、大麻そのものの症状というよりは、日本の大麻行政が作り出している問題です。
すべての非合法ではあるが実際にブラックマーケットを形成している商品は、一般的に価格が高止まりします。
日本ではブラックマーケットで1グラム5,000円から1万円しますが、小売販売が許可されているアムステルダムでは、1グラム5ユーロから7ユーロ(700円から1000円)で購入できます。このような価格の場合、大麻の購入資金のために何らかの二次的犯罪にコミットする必要性はもともと発生しません。
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薬物政策に関する論文で博士号(PhD)をお持ちの研究者から、「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの記述について論稿を頂きました。
今後、不定期に連載できればと願っていますが、ご多忙なところを無理にお願いしているので、予定は未定です。
今回は第1回として、「大麻について」の一部を掲載します。
尚、この論稿は検証「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの該当箇所にも掲載しました。
***
「大麻について」
現在では世界のほとんどで麻薬として規制され、所持しているだけでも死刑や無期懲役となる場合もあるほどです。
大麻が国際法において麻薬(Narcotic Drugs)として規定されているのは1961年の単一条約によります。
しかしこうした規定があるにも関わらず、なぜオランダをはじめとする一部の国や州では大麻の使用が非犯罪化され、一見、単一条約と矛盾するかのような政策がとられているのでしょうか。
ここには、表向きの姿勢としてハームリダクション(有害性縮減)ポリシーが政治的に主張されているからです。
オランダも単一条約は批准しており条約そのものへの積極的批判は行っていないのですが、彼らは、大麻の非犯罪化によるハードドラッグ使用者数の減少という効果をもたらしたハームリダクション政策が、単一条約とは矛盾しないと主張しています。
また麻薬に関する処罰設定の自由は各国の議会にあるという考え方がオランダ・ドイツ・スペイン・スイスなどで採用されている条約解釈です。
そもそも単一条約の履行を目標として設立されているINCB(国際麻薬統制委員会)には、条約の不履行に対して制裁を加える権限も与えられていません。
よって、日本の場合も仮に脱法ドラッグ・覚醒剤・処方薬・酒などのより危険性の高い薬物の代替物として大麻をハームリダクション政策に組み込もうとの政策的意思をもてば、いつでも単一条約とは矛盾せず自由な政治的意思を表明できるというのが、国際社会の趨勢といえます。
蛇足ですが、むしろ国際社会における麻薬政策の変化が直面する障壁として麻薬統制レジームの研究者が懸念しているのは、麻薬問題に対して国内で高い政策的順位を置いてきたアメリカの政治的圧力です。
イギリス人研究者のDavid Bewly-Taylorは、この事情を次のように説明しています。
「国連レベルでの何らかの変化について考えるとき、アメリカがグローバルな麻薬禁止政策を守るために覇権的力を行使してきたという事実を各国が無視することは明らかに賢い選択とはいえない」。
この政治的圧力によって国連レベルでの麻薬政策は科学的というよりは、至って政治的なものになっていると考えられています。
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