現在全米で2,000万人と推定されている非合法麻薬の使用者のうち、ONDCPは約770万人が治療が必要な中毒者と推定しているが、そのうち治療を実際に受けているのは約140万人(約18%)にすぎない[23]。
しかしこの現状に対し、2004年度のDrug Strategyでは、「実際の問題は、膨大な数のアメリカ人が非合法麻薬に依存しており、彼らが治療を求めていないということである。このように中心的問題は、治療の順番待ちのリストではなく、治療の必要性を認識していない人々がこの必要性を認識することをこちら側が待っている状態にある」と述べ、治療を受ける中毒者数が少ない原因を治療プログラムが構造的に持つ敷居の高さにではなく、中毒者が自分達の置かれている危険性を認識していないからだと説明している[24]。
このような問題認識が変わらないかぎり、今後治療プログラムへの中毒者の低アクセス率が改善される見込みはほとんどないと思われる。
こうした敷居の高い(high-threshold)治療プログラムに対して、ハームリダクションではメタドン治療や注射針の交換を中心とした敷居の低い(low-threshold)プログラムの提供によって、中毒者が置かれている状況の段階的改善と本格的な治療プログラムへの準備段階としての初期プログラムの活用を目指す。
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[23] ONDCP (March 2004) op.cit., p.21
[24] Ibid., pp.20-21
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禁止政策において行われている需要削減政策の今一つの柱は、既に麻薬を常用している中毒者への治療プログラムである。しかしながら、現行の制度では、中毒者が実際に治療プログラムに参加することは容易ではない。
その主な理由は、前述したようにアメリカの治療プログラムの大半が完全なアブスティナンス(abstinence:断つこと[THC注])を要求している点にある。しかし中毒者が治療を受けることを困難にしているのはそれだけではない。
ONDCPの97年のDrug Strategyが明らかにしているように、「慢性的使用者が治療を受ける意志は、治療プログラムの利用可能性と、サービスを受ける経済的余裕、公的資金によるプログラムと医療保険へのアクセスの有無、個人的モチベーション、家族と雇用者のサポート、そして中毒を認めることによる潜在的結果(potential consequences)に影響される」のである[22] 。
このONDCPの分析は、アメリカの中毒者が直面している様々な問題を実に的確に表現したものである。治療プログラムは予算不足から指摘されているようにその利用可能性が十分でないだけでなく、中毒者の経済的負担という点においても問題が大きい。
またONDCPが、「中毒を認めることによって生じる潜在的結果」と表現している事柄の中身も、中毒者にとっては治療を受けるにあたっての大きな障害となっている。
薬物中毒を認めれば、逮捕、留置、財産の没収だけでなく、解雇、失業、また子供を取り上げられるなどの厳しい現実が待ち受けている。
つまり治療を受けるだけの経済的余裕があり、雇用者が文字通りの理解とサポートを示し、信頼できる生活基盤の保護が保証された中毒者でないかぎり、何らかの治療を求めていてもよほど状態が悪化するまで中毒者が治療プログラムの門を叩くことはない。
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[22] Marlatt, G.Alan (ed.) (1998) op.cit., p.366.
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こうした効果と理論に疑問の多いLSTプログラムやDAREに代わり、近年アメリカの教育現場で需要対策として活発に行われているのが生徒への抜き打ちのドラッグテスティングである。
現ブッシュ政権のONDCP長官ジョン・ウオルターズは、これを麻薬問題へのsilver bullet(魔法の解決策)と呼び、2004年のNational Drug Strategyでは教育現場での麻薬対策の目玉として2,300万ドルの予算が組まれている[13]。
教育現場でのドラッグテスティングは、1995年に当初法的には陸上部に所属する生徒のみに許可されていたが、2002年6月の最高裁による決定を受けて、陸上以外(バスケット、チアリーディング、弁論、チェスなど)の課外活動に参加する中高生にも広く実施されるようになっている。
ONDCP発行のパンフレットでは、アラバマ州のある郡でのパイロットプログラムの成功例と、この地域の第1部でも紹介した父兄組織PRIDE(National Parents' Resource Institute for Drug Education)によるドラッグテスティングの効果に対する肯定的統計が紹介され、ドラッグテスティングの教育現場での積極的な採用が啓蒙されており、ブッシュ大統領も2004年1月の一般教書演説の中でドラッグテスティングに触れ、この2年間で若者の麻薬使用が減少しており、「我々の学校でのドラッグテスティングは、この努力の中の効果的な一部であることが証明されている」と述べている[14]。
しかし政府の発表とは裏腹に、専門家による調査によってドラッグテスティングの実施と効果には既に多くの問題点と疑問点が指摘されている。
2003年に発表されたミシガン大によるドラッグテスティングの効果に関する初の大規模な調査では、1998年から2001年にかけて全米で76,000人の8年生、10年生、12年生を対象に、ドラッグテスティングが実施された学校と実施されていない学校との麻薬の使用状況の比較調査が行われている。
その結果、何らかの非合法麻薬を使用している12年生の割合は、ドラッグテスティングを実施している学校の生徒が21%、実施していない学校の生徒が19%、同じく12年生のマリファナの使用者数の割合は、テストを実施している学校で37%、実施していない学校で36%とほとんど差がないことが明らかとなった[15]。
この調査を行ったミシガン大のロイド・ジョンストン教授はこの調査結果から、「実施されているドラッグテスティングの影響は、全くないことを示唆している」と述べ、ドラッグテスティングは、「子供達の気持ちや心情を勝ち取ることのない一種の介入であり、私はこれがドラッグに対する子供達の態度や、あるいはその使用に伴う危険性に対する彼らの信念に何らかの建設的な変化をもたらすとは思わない」と結論している[16]。
また先の1995年の最高裁によるドラッグテスティングの実施許可の裁定を導いた当の本人であるオレゴン州の高校の元校長ランドール・オールトマン氏も、ドラッグテスティングは、「あらゆる状況で常に効果をもたらすとは思っていない。(中略)実際には、多くの生徒が『OK、シーズン中だけはやめよう、シーズンが終わってからまたドラッグを始めればいいさ』と言っている。でも中には生涯を通じてやめる生徒もあり、その場合には効果がある」と述べ、ドラッグテスティングが決してsilver bulletでなく、限られた効果しかないことを認めている[17]。
しかしドラッグテスティングが仮にわずかでも効果を示すとしても、そのわずかな効果にかかる経済的コストは決して小さくはない。テストの方法によってコストは変わるが、一番安価で一般的に行われている尿検査で一人のテストにかかる一回のコストが10ドルから30ドル、皮膚についた汗から行う検査法(sweat patch)で20ドルから30ドル、最も高い髪の毛のテストでは60ドルから75ドルかかる[18]。
またドラッグテスティングの結果に一定の精度と信頼性を保つためには、テストの頻繁な実施、テスト法の切り替え、陽性者への再テストの実施など、さらに多くのコストをかける必要性が常にある。そのため精度の高いテストの実施は、学校の財政と総合的な予防教育の予算を圧迫する結果を招く。
オハイオ州ダブリンでは、一人あたり24ドルのコストで1校につき年間35,000ドルがドラッグテスティングに使われており、陽性反応が出た生徒(1,473人中11人)一人を見つけるために単純に計算して32,000ドルのコストがかかっていた。
その後、ドラッグテスティングによって他の予防対策への資金がなくなったダブリンでは、その費用対効果を再検討し、結局ドラッグテスティングを中止し、代わりに2名のフルタイムの麻薬中毒の専門家を雇い、他の予防プログラムに予算を振り分ける決定を行っている[19]。
またドラッグテスティングは本来課外活動への参加が必要な生徒を、かえって課外活動から遠ざけてしまうという教育上逆の効果をもたらす可能性が高い。
課外活動は生徒をより長い時間学校に留め監督下におくことができるため、一般に生徒を非行行為から遠ざける効果があることが認められている。
また生徒に勉強以外の関心、目標、また仲間との交流をもたらす点で多様な教育効果をもたらす。
本来麻薬を常習している生徒にこそ、学校は積極的に課外活動への参加を呼びかけるべきであると思われるが、ドラッグテスティングは結果的に彼らを課外活動から締め出してしまう。
また週末のパーティなどでマリファナのみを使用する普通の生徒にとっても、課外活動への参加を避ける要因となる。また一般に行われている尿検査は、マリファナには反応しやすいが、アルコールとタバコ、MDMA(エクスタシーの主要成分)には効果がなく、体内での残留期間の短いメタンフェタミン(スピード)やコカインも陽性反応が出にくい。そのためドラッグテスティングの実施は、生徒にマリファナよりもリスクの高いアルコールやその他のハードドラッグの使用を選択させている[20]。
このようにドラッグテスティングは、教育現場における需要削減と予防効果という観点からみて、その効果よりもマイナス面の方が大きく、かえって麻薬の使用を影へと追いやり、非合法麻薬を使用する生徒達のリスクをかえって増大させている可能性が高い。
禁止政策の理念を根本とするドラッグテスティングは、週末だけにマリファナを使用する生徒も、ヘロインの静脈注射やクラックを常用するものも、すべて同じダーティーな非合法麻薬の乱用者とみなす。
しかし本当に問題なのは後者のようなハードドラッグの常用者であって、この場合ドラッグテスティングに頼るまでもなく、態度の変化、成績の悪化、欠席の増加、喧嘩、軽犯罪へのコミットなどの日常生活での問題行動から、少なくともまじめに職務を行っている教師であるならば、彼らが何らかの問題を抱えているということは容易に推察可能と思われる。またコストを含めた具体的な問題以上に、ドラッグテスティングの実施は両親、教師と生徒達との関係に亀裂を生じさせる結果を招く可能性がある。
テストに備えて当然生徒達は、親や学校を欺くための対策を講じる。既にテスト対策としてクリーンな尿の提供、体内の麻薬の成分を中立化する薬品、髪の毛から反応を出さないシャンプーなどのテストへの対抗商品は数多くインターネット上で販売されており、またテストに抗議してスキンヘッドにし体毛を剃る生徒も現れている[21]。
ドラッグテスティングとは、抜き打ちテストによって実質的な取締りを行うだけでなく、生徒達に麻薬の使用が親や学校にばれるかもしれないという恐怖心と、発見された時の何らかの制裁への恐怖心を起こさせ、この恐怖心を利用し子供達に麻薬の使用を思いとどまらせようとする手段であり、教育的手段ではない。
この点で、ドラッグテスティングは現行の禁止政策の需要削減手段である逮捕、懲罰による使用の抑制と本質的には何ら変わるものではない。
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[13] U.S. Office of National Drug Control Policy (March 2004) National Drug Control Strategy 2004, [http://www.whitehousedrugpolicy.gov/publications/policy/ndcs04/index.html].
[14] U.S. Office of National Drug Control Policy (ONDCP) (2002) What You Need to Know about Drug Testing in Schools, [http://www.whitehousedrugpolicy.gov/publications/drug_testing/], p.3., News Week (Feb.25, 2004), "Web Exclusive Report: Guilty Until Proven Innocent"[http://www.msnbc.msn.com/id/4375351/].
[15] Yamaguchi, R., Johnston, L.D., O'Malley, P.M. (2003) "Relationship Between Student Illicit Drug Use and School Drug Testing Policies", Journal of School Health 73.4, pp.159-64.
[16] Winter, Greg(May 17, 2003)"Study Finds No Sign That Testing Deters Students' Drug Use", New York Times, International Herald-Tribune.
[17] Ibid.
[18] Gunja, F., Cox, A., Rosenbaum, M., Appel, J.(January 2004)Making Sense of Student Drug Testing, Why Educators are Saying No, The American Civil Liberties Union and The Drug Policy Alliance,[www.aclu.org/drugpolicy], p.9.
[19] Ibid., p.10.
[20] Ibid., p.16.
[21] Ibid., p.16.
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多くの先進国では、かつてのような職業訓練や師弟制度によって生涯保証された仕事につく時代は過ぎ去り、社会的紐帯が強い地方の製造業が衰退し、都市部ではサービス業など賃金の安いマニュアル化した仕事が増えている。
労働市場が流動化し、フルタイムに代わってパートタイムの仕事が増える一方で、大卒などの高い学歴が必ずしも安定した雇用の確保につながらず、青年期に経済的な自立をすることが難しくなってきている。
これと連動して若者は結婚しなくなり親にもならなくなり、近年、家族社会学がポスト青年期(post-adolescence)と呼ぶライフサイクルの一時期を過ごすものが増えてきた。
パーカーらは、彼らポスト青年期を送る、経済的にも、社会的にもさほど責任を担っておらず、稼いだ金を好きなことに消費できる中流階級の若者達が、生活の中でtaking time out(小休止)する時に、レジャーの一つの選択肢としてドラッグの使用を選択していると調査結果から分析している[11]。
また多くの先進国では、文化の個人化が進み、かつての集合的なカウンターカルチャーやサブカルチャー運動は影を潜めてきた。これと平行して、麻薬の使用用途も種類も個人化、多様化している。彼らの麻薬の使用の動機は、かつての反抗的サブカルチャー精神の表明ではなく、むしろメインストリーム文化である商品の消費、快楽の消費とより親和性が高いように思われる。彼らは社会的に疎外された貧困層や差別階級の人々による中毒的なドラッグの使用と異なり、生活をドラッグにフィットさせるのではなく、余暇活動として他のレジャーと同じように、ドラッグをノーマルな学生生活や社会生活にフィットさせているのである。
こうした現状の道徳的是非はともかく、ハームリダクション政策では若者の間で麻薬が既に広く使用されているという事実、麻薬使用のノーマライゼーション化を認めたうえで、よりプラグマティックな教育的予防プログラムの実践を主張する。まず前提となるのは、合法、非合法、また処方薬も含めた薬物全般の持つ効果と危険性に対する客観的、科学的な事実に基づいた情報の提供である。前述したように、非合法麻薬をいたずらに悪魔化する手法は、何らかの非合法麻薬を経験しその危険性を実体験している若者からは情報ソースとしての信頼性を失う結果を招く。
その結果、彼らが主な情報ソースとしている友人の、時には不確定で特殊な経験的知識に基づく情報が先行し、使用の際に必要以上のリスクを被る可能性が常につきまとう。この情報ソースとしての信頼性の回復こそが、予防プログラムを行う教育現場が取り戻さなければならない最初の課題であると思われる。
このことを前提としたうえで、麻薬のハームリダクション教育の研究者であるスケイジャーにしたがって、ハームリダクション政策が提唱する教育現場でのリスク予防プログラムの目標と実践項目をみてみよう。
- できる限り使用開始年齢を遅らせること。
- (完全にやめさせようとするのではなく)使用する量を削減させること。
- 生徒に使用すべきではない時、場所、状況があることを理解させること。
- 問題のある使用(やり過ぎ、他のドラッグとの混ぜ合わせ、知らないドラッグ、不純なドラッグの使用など)を回避させること。
- 麻薬の使用に関して自分自身及び他人への責任感を促すこと。
- 中毒及び依存を示す兆候に対する知識を持たせること。
- 問題の多い使用を行う仲間に対するアプローチとアシストの教育。
- 助けが必要な時に学校、コミュニティなどのサポートリソースがあることを自覚させておくこと。
そしてこれらの目標項目は、次のような事柄を教師が念頭に置く時に効果的に達成される。
- 多くの生徒がアルコールや他のドラッグの肯定的経験を持っていることを受け入れる。
- トップダウンではなく生徒とのインタラクティブなディスカッション形式において行う。
- 生徒に疑念を抱かれる情報ではなく麻薬の否定的、肯定的両面の効果に関する確かな情報を生徒に提供する。
- 生徒の合理的自己決定を重視し、非裁量的(non-judgemental)アプローチをとる[12]。
大人達の麻薬に対する感情的、否定的反応、若者達から見れば間違った麻薬に対する認識の押し付けは、彼らに大人から極力麻薬の使用を隠す努力を選択させる。そのため子供が不適切かつ危険の多い麻薬の使用方法を実践していても、明らかな身体的、精神的症状が出るまで、親、教師、ホームドクターらがそれを発見することは困難となる。
現代社会のように、洪水のような情報量とその不確実性にあふれた社会環境では、麻薬を使用する若者達は常に危険な立場に置かれており、彼らが準拠できる信頼できかつ確かな情報リソースの確保が求められる。
しかしながら実際の麻薬教育の予算は使用の完全中止をベースとした予防教育にのみ限定されており、一部の私立学校を除いて上述した教育項目はアメリカではほとんど実施されておらず、またそのための訓練を受けた教師の数も少ないのが現状である。
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[11] Parker, H., Aldridge, J., Measham, F. (1998) op.cit., pp.23-25.
[12] Skager, Rodney, op.cit., pp.17-18.
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学校現場でのマリファナの害を誇大に強調した教育は、その実際の効果を既に体験している生徒の大半からは失笑を買うだけで、教師や政府の伝える情報をプロパガンダとしてしか受け取ることはない。
そのため教育機関や政府は、若者にドラッグに対する信頼すべき情報のリソースとはみなされず、そまた9年生のアルコールやその他の麻薬の使用動機は、その大半が「どんなものか知りたかったから」(52.3%)「楽しむため」(50.1%)「うさばらし」(46.7%)「友達がやっていたから」(50.1%)などの通常の娯楽とほぼ変わらない動機が占めており、予防プログラムが前提とする性格的問題のカテゴリーに入ると思われる、「やることがないから、倦怠、退屈」など比較的問題があると考えられる使用動機は25.6%にとどまっている[7]。
そもそもアルコールを含め、ハードドラッグの使用やリスクの高いドラッグの使用パターンを実践している者は、社会環境や家庭環境に起因した社会的、精神的問題を抱えている者であり、彼らの問題解決にはドラッグの危険性の認知教育やLSTではほとんど効果はなく、より総合的な社会福祉や心理カウンセリングなどの対応が行わなければならない。
またこの調査から明らかとなった使用状況では、いわゆる友人からの圧力という要因はほとんどみられず、生徒が彼ら自身の判断で自発的(spontaneous)にドラッグの使用を行うモデルが優勢であった[8]。
またイギリスで行われた調査でも、この友達からの圧力という使用動機はほとんど認められず、「自己責任のもとで、自分自身で麻薬の使用の決断を行っている」若者が大半を占めていると結論されており、LSTプログラムが前提とするモデルが実際の若者の使用状況とは必ずしも一致していないことが明らかとなっている[9]。
むしろここで認められるのは、一種の対人関係における個人主義(do-your-own-thing ethic)であり、アルコールを含め、友人からすすめられたドラッグの使用を拒否しても、それが友人関係に影響を与えることは実際にはほとんど認められていない[10]。
むしろ先進国で顕著な個人主義の考え方の下では、仲間からのドラッグの使用の強要などといった、本人が設定したリミットを超えるリスクテイクは彼らの信条によって拒否されることが一般的である。
ではなぜ他に問題行動を起こさない中流階級の若者達の間で、麻薬の使用が通常の娯楽やレジャーとして広がりをみせてきているのであろうか。
ここには多様な社会的要因が影響していることは間違いないが、非合法麻薬の使用のノーマライゼーション化の理由の一つとして社会学者のパーカーらが注目しているのは、彼らを取り巻く近年の社会、経済状況、特に労働状況の変化である。
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[7] Ibid., p.87.
[8] Ibid., p.85.
[9] Parker, H., Aldridge, J., Measham, F. (1998) Illegal Leisure: The Normalization of Adolescent Recreational Drug Use, New York and London; Routledge, P.161.
[10] Skager, Rodney "On Reinventing Drug Education for Adolescents", in The Reconsider Quarterly Winter 2001-2002 Vol. 1, No.4, p,16.
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DAREプログラムに代表される一次、二次予防は、一般に麻薬の使用開始のメカニズムとして次の二つの要因を前提としている。それは、友人からの圧力(peer pressure)と使用者の性格的欠陥(personal deficit)である。
友達にすすめられた時にノーと言えない自己決定や自立心の欠如、また感情のコントロールができない若者が、アルコールや薬物に手を出すという使用者像である。このモデルにしたがって、予防プログラムではアルコール、タバコを含めた麻薬の使用を促すとされる身近な社会的圧力に抵抗する能力、意思決定、怒りと不安のコントロール、自尊心などを養うための生活技能訓練LST(Life Skills Training)が採用されている。
問題はLSTが前提としている、問題のある生徒が麻薬を使用するというモデルが現実の麻薬使用者のプロファイルとは大きな開きがあることである。
およそ30年に渡って全米の学生の行動調査を行っているモニタリング・ザ・フューチャー(MTF)によって2002年に行われた8年生、10年生、12年生を対象にした調査によれば、53%の生徒が何らかの非合法麻薬を経験しており、マリファナ以外の非合法麻薬も30%(1997年の数値)の生徒が経験していた[5]。
またカリフォルニアでの調査では、9年生の自己申告による数字によれば、24%の生徒がマリファナを使用したことがあると解答しているが、同じ解答者の53%が同年の生徒の半分かそれ以上がマリファナを使用していると推測している。
同様に11年生では、自己申告では45%が使用したことがあるのに対し、72%の生徒が半分かそれ以上の同年の生徒がマリファナを使用したことがあると推定している[6]。
このように非合法麻薬の使用は既にアメリカ社会では特に家庭問題や経済問題を抱えた生徒に限らず広く一般的に行われており、これを特に問題行動として認識することに予防プログラムのそもそもの問題点があると思われる。
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[5] National Institute on Drug Abuse (NIDA) & U.S. Department of Health and Human Services, Johnson, Lloyd D., O'Malley, Patrick M., Bachman, Jerald G. (2003) Monitoring the Future: National Results on Adolescent Drug Use, Overview of Key Findings, 2002, [http://www.nida.nih.gov/DrugPages/MTF.html], p.28.
[6]Austin,G., Shager, R. (1999) Eighth Biennial Statewide Survey of Drug and Alcohol Use Among California Students in Grades 7,9, and11, Sacramento,CA; Office of the Attorney General, Crime Prevention Center, p.85.
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薬物の使用開始を思いとどまらせたり中止させるためには、教育現場での麻薬教育が重要な位置を占める。この教育的予防プログラムは、対象者の薬物の使用状況から一般に次の3つに分類されている。
まず第1の予防教育、一般に一次予防(primary prevention)あるいは全般的予防(universal prevention)と呼ばれている段階では、未使用者を対象として教育によって薬物の未使用、あるいは不使用をそのまま継続させることを目標としている。
次に麻薬の使用を既に開始しているがまだ常用していない者、あるいは未だ使用者自身にさほどの害を与えていないレベルでの使用にとどまっている者には、使用にあたっての害を最小化したり使用を中止させることに焦点を置いた二次予防(secondary prevention)あるいは選択的予防(selective prevention)と呼ばれる予防教育が行われる。
さらに麻薬の使用が進み、既に使用者に一定の害を及ぼしていたり中毒になっているものには、三次予防(tertiary prevention)あるいは指示的予防(indicated prevention)と呼ばれる一般に中毒治療におけるカウンセリングが行われることになる[1] 。
アメリカの教育現場では、この一次、二次予防の実践は、政府からの資金援助を受けているDARE(Drug Abuse Resistance Education)が長年その役割を担ってきた。
DAREはもともと1983年にロサンゼルス市警と学校が協力して開始したプログラムで、5年生、6年生を対象に、毎週制服警官が学校に呼ばれ子供達に麻薬の危険性を教え、自尊心の育成と友人、大人からの麻薬使用の誘いへの断り方(peer pressure resistance skills)を身に付けさせるための講義が行われる。
現在、年間推定10億ドルから13億ドルの資金が使われ、全米のおよそ7割の学校で広く実施されているプログラムである[2]。
しかしおよそ20年近い歴史を持つDAREプログラムではあるが、このプログラムにはいくつかの科学的調査がその効果に疑問を投げ掛けている。
アメリカの会計検査院(General Accounting Office)が2003年に発表したケンタッキー、コロラド、イリノイ州での調査によれば、DAREのプログラムを受けた生徒は、受講後1年間は非合法麻薬の使用に対して否定的な印象を維持しておりその一定の効果が認められているが、2年、5年、10年の追跡調査では、DAREを受講した生徒と受講していない生徒の間での非合法麻薬の使用状況には差がみられず、その長期的効果がほとんどないことが明らかとなっている[3]。
またそもそもこの20年間でアメリカ国内の若者の薬物使用は一向に減少しておらず、費用対効果という観点から2000年にはソルトレイクシティがDAREプログラムを中止している[4]。
ではこのDAREの失敗の原因はどこにあるのか。
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[1] Marlatt, G.Alan, Weingardt, Kenneth R."Harm Reduciton and Public Policy "in
Marlatt, G.Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing
High-Risk Behaviors, New York and London; The Guilford Press, p.365.
[2] Kalishman, Ariel (April 2003) D.A.R.E. Fact Sheet, Drug Policy Alliance, [http://www.dpf.org/library/factsheets/dare/index.cfm].
[3] General Accounting Office(Jan 16, 2003)Youth Illicit Drug Use Prevention: DARE Long-Term Evaluations and Federal Efforts to Identify Effective Programs,[www.gao.gov/cgi-bin/getrpt?GAO-03-172R],pp.5-7.
[4] Eyle, Alexandra,"An Interview with Salt Lake City Mayor Ross C. Rocky Anderson by Alexandra Eyle"in The Reconsider Quarterly Winter 2001-2002 Vol.1 No.4, pp.12-13.
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はじめに
麻薬の消費という社会現象は供給と需要の両者によって成立している。
どれだけ内外で供給対策を実施しても、需要が無くならない限りマーケットは存続し、供給側に麻薬の生産と密輸を行う経済的誘因を残す。
現行の禁止政策においてこの需要対策で中心的位置を占めるのは、取締りによる使用者への懲罰の他に、未だ薬物の使用を開始していない未成年者に対する予防教育と、既に薬物の使用を開始している者への治療プログラムである。
本章では、これら現行政策下での需要対策の具体的実施状況と問題点を分析し、ハームリダクションの視点からどのようなオールタナティブな麻薬政策が需要削減という観点から可能であるかを検討する。
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麻薬問題に対するハームリダクション政策には、様々な政策目標とその実施形態が想定可能であり、その組み合わせと政策的効果は多岐に渡る。
また、その実施形態はそれぞれの国と地域が抱える麻薬問題の状況、法制度、文化、道徳的観念を考慮して決定されるべきであり、ある特定の地域、国家での成功事例が一概にすべての地域に適用可能かつ有効な政策であるとはいえない。
従って、現在、中毒や注射針を媒介としたHIV感染が深刻な社会問題となっている東南アジアを始めとして、今後、それぞれの国と地域で問題の状況に応じたハームリダクションの実施形態が個別に研究される必要がある。
日本を含めた地域、国別の代替政策研究は今後の筆者の課題でもあるが、このような一定の代替政策を模索する努力によってのみ、中毒症状や感染症に苦しむ人々を犯罪者化やスティグマ化する代わりに、彼らに何らかの実効性の伴う救済手段を提供することが可能となると筆者は考える。
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このように麻薬政策には様々な形態が考えられ、ハームリダクションはこれらすべての政策的オプションの中でその実践が可能である。完全な合法化と、アルコールなど合法麻薬と全く同等の扱いは先進国では実践されていないので推論の域を出ないが、医療化政策の国家レベルでの実施は、スイスで既に1994年1月から 3カ年計画でのThe Medical Prescription of Narcotics Programme (PROVE)が実施されている。この計画は、メタドン治療や何らかの治療に失敗した1,000人のハードコアなヘロイン中毒者に限定して、ヘロイン、モルヒネ、注射可能なメタドンを医療機関を通じて供給し、同時に中毒者の健康、住居、雇用、また家庭問題や生活パターンへのカウンセリングと支援を平行して行い、その結果ヘロイン中毒者のリスク行為がどのように改善されるかを調査するハームリダクションの実験プログラムである。
1997年7月にスイス政府が出したこの実験の結果報告では、プログラムを受けた中毒者に以下7項目の改善点がみられたことが確認されている。
1) 犯罪件数、及び犯罪者数が60%に減少し、 非合法な活動による収入が69%から10%に減少した。
2)非合法なヘロインとコカインの使用が劇的に減少した。
3)安定した雇用が14%から32%へと増加した。
4)健康状況の著しい改善とオーバードーズによる死亡事故がなくなった。
5)処方ヘロインが横流しされブラックマーケットが形成されることはなかった。
6)途中で半数がプログラムを中止し他の治療プログラムへ移行し、83名がアブスティナンス(使用中止)セラピーを開始した。
7)刑事司法と医療コストの減少によって一人当たり一日30ドルの経済的便益がもたされた[13]。
このスイスでの社会実験を他の事情の異なる社会に単純に援用することはできないが、スイスでの成功はハームリダクションとしての医療化政策が一定の効果をあげる可能性があることを証明する結果といえる。非犯罪化政策はオランダを始めヨーロッパ各国で麻薬使用に伴うハームリダクションの成果を挙げている。
また完全な禁止政策下においてもハームリダクションの実践が全く不可能なわけではない。禁止政策を掲げているアメリカでも、「アメリカのドラッグウオー」で論じたように、ニクソン政権下の70年代からメタドンプログラムは既に実施されており、また州レベルでは注射針の交換や処方箋なしでの注射針の購入も認められている。しかしながらFDA(Food and Drug Administration)によるメタドンへの厳しい規制によってクリニック数は伸びず、2000年の段階での利用状況はヘロイン中毒者全体の2割弱にとどまっており、注射針の交換プログラムへの国の予算の拠出も未だに認められていない[14]。
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[13] Nadelmann, Ethan A. (February 1998)"Commonsense Drug Policy"in Gray, Mike (ed.) (2002) Busted: Stone Cowboys, Narco-Lords and Washington's War on Drugs, New York; Thunder's Mouth Press/Nation Books, p.180.
[14] U.S. Office of National Drug Control Policy (ONDCP) (April 2000) Fact Sheet Methadone,[http://www.whitehousedrugpolicy.gov], p.1.
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以上のような議論からすれば、現行の非合法麻薬に対する抑圧的禁止政策とハームリダクション政策は、一見相いれない考え方のようにみえるが、現実にはハームリダクションにはいくつもの存在形態があり、必ずしも禁止政策との間で親和性が存在しないわけではない。
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このような薬物使用に対する道徳的是非を括弧に入れ、具体的な問題の改善に向けた現実的アプローチを志向するハームリダクションの考えは、プラグマティズムの思想から大きな影響を受けていることが表明されている。
プラグマティズムは、ある行為が善であるか悪であるか、正しいか間違っているかの判断は、抽象的価値体系や思想、一般道徳にその判断規準を求めない。
初期のプラグマティズムの代表的存在であったウイリアム・ジェームズを引用すれば、プラグマティズムでは、「抽象的概念や不十分なものを退け、言葉の上だけの解釈、まちがった先天的推論、固定した原理、閉じられた体系、いかにももっともらしい絶対者や根源などには一顧をも与えない」、「諸君はこれら一つ一つの言葉の実際的な掛け値のない価値を明示して、それを諸君の経験の流れの中に入れて、実際に活用してみなければならない」、と主張する[8]。
このようにプラグマティズムとは、ある行為実践のもととなる道徳、価値観、理念、イデオロギーを絶対化せず、その行為の実践が、現実社会あるいは人間の経験的生活にもたらす実際の効果と帰結からその行為実践を評価、判断しようとする姿勢であり、これがハームリダクション政策の基本理念として援用されている。
このようなプラグマティズムの考えに基づき、ハームリダクション政策では、道徳的理想主義者が目指す「ドラッグフリー社会の実現」という理念とそこから帰結する実践から距離を置き、多数の非合法麻薬の使用者が事実存在し彼らの存在が今後も継続するという現実認識に立ち、彼らが非合法麻薬を使用することによって現在生じている使用者と社会への有害性の削減へ向けた具体的実践を提唱するのである。
ここで我々が誤解してはならないのは、ハームリダクションが非合法麻薬の使用を奨励しているわけではないという点である。
ハームリダクションの支持者にとっても非合法麻薬の使用は望ましい事ではない。しかしそれが現実に行われ当面無くなる可能性がない以上、非合法麻薬の使用によって個人と社会が被る有害性を最小限に留めることが選択されているだけである。
しかしハームリダクションの主張と実践はしばしば強硬な反対に遭う。例えば、彼らの実践の一つである注射針の無償交換プログラムは、既に科学的データによって反証されているにもかかわらず、これが麻薬の使用者を増加させる結果を招くとして反対されてきた。
反対者にとっては、このプログラムがHIVや肝炎の感染率を低下させ、中毒者の健康だけでなく社会全体の公衆衛生を向上させることを可能にするという事実よりも、非合法麻薬の使用がいかなる条件であれ継続されることに対する拒否の態度を貫くことと、このプログラムによって自分達が信ずる理念が傷つけられることへの拒否の感情が優先される。
こうした理念優先型の実践の帰結が、刑務所での麻薬事犯の収容率の増加とコストの増加、中毒者のHIV感染率の高止まり、生産国でのドラッグウオーによる様々な弊害を生みだしたとしても、これらは社会と麻薬中毒者が甘んじるべき正当な代償として価値的に容認される。
対照的にハームリダクション政策の支持者は、道徳や理念が本来人間にとって何のために存在しているのかという問題意識に基づき、問題改善に向けての現実的アプローチが禁止政策の理念には欠落しているとしてこれを批判するのである。
このような対立点は、近年日本で進められている犯罪への厳罰化による威嚇効果を巡っての議論とも類似している。
犯罪学者の浜井浩一氏は、「犯罪対策の効果に対する科学的エビデンス、コスト分析を含め、より安価で副作用の少ない代替案などの検討」を行う「エビデンス(科学的根拠)に基づく犯罪対策」と、「まず刑法の重罰化によって国民に規範の何たるかを示す」という刑法改正における法務大臣の発言に見られるような、「(刑罰)信仰に基づく犯罪対策」とを分類し、後者の政策によって日本が今後アメリカ同様の大量拘禁の時代を迎える可能性を憂慮している[9] 。
このように理念信仰型政策と現実的な問題改善型政策との対立は、麻薬問題に限らず他の様々な社会問題においても同様にみることができる[10]。
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[8] W. ジェイムズ著、桝田啓三郎訳『プラグマティズム』、岩波文庫、1957年、43頁、45頁。
[9] 浜井浩一著「『治安悪化』と刑事政策の転換」、『世界』2005年3月号、岩波書店、112頁。
[10] 例えば、この麻薬問題に対する理念優先型の禁止政策とプラグマティックなハームリダクションの基本的姿勢の違いは、未成年者の性交渉への社会的対応にもみられる。未成年者のセックスに関する世論と実践は、婚前交渉の完全否定から、行きずりのセックスの許容まで幅広い。不特定多数のパートナーとのセックスや仮に特定のパートナーとのセックスであっても、セックスに対する不充分な知識はHIVや性病への感染、望まれない妊娠などのリスクが伴う。このリスクを軽減させるための方法として、教育現場での性交渉の実践的教育やコンドームの配付などが考えられるが、いわゆる純潔教育を支持する立場の人々からは寝ている子を起こすことになりかねない不適切な対応として強く反対される。このように、道徳的理念や理想を追及する禁止的政策と、ハームリダクションの対立は他の様々な社会的場面でみることができる。
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では既に麻薬を常用している中毒者やリスクの高い行為を実践している者にはどのような対応が可能であろうか。
ハームリダクションの最初の目標はリスク行為をいきなり中止させることではなく、まずリスク行為を修正させる方向性を維持させ、問題をそれ以上悪化させないようにすることにある。
リスク行為をそれ以上悪化させず安定させることができて、初めて次の段階、すなわちリスク行為の削減へと向かう。
これは段階的改善から完全な中止まで幅広いプロセスがある。具体的には、自助グループのグループセラピーによって得られる経験的な成功、失敗事例の情報交換による中毒者の認知パターンと行動パターンの改善の促進、またヘロイン中毒者へのメタドン、アルコール中毒者へのナルトレキソンなどの薬物療法による状況の安定化も採用される。
ただここで重要な点は、いかなる改善プロセスも、常にサービスのプロバイダーとクライアントとの間での話しあいによる協同作業でしか進めない点である。
疾病モデルの治療行為では、クライアントとの協同や話しあい抜きで、用意された治療技術を強制的にクライアントに受けさせる場合が大半である。しかしこれではクライアントに治療への動機づけ、自己管理方法が根付かず、リスク行為を回避させる為の行為パターンや認知パターンそれ自体が改善されることがないため、身体的問題は解決してもプログラムの終了後再発することが多い。
ハームリダクションが非合法麻薬の使用も含め中毒者の現状を受け入れるクライアント中心主義(client-centered approach)でプログラムを進める理由は、自発的な段階的自助努力によってしか中毒者の認知パターン、行動パターンを根本的に改善することがないと考えるからである。[7]
しかし運転手がどれだけ慎重さとリスクを回避する意志があっても、車が整備不良であったり道路に問題があれば事故に遭遇する確率は高くなる。
同様にヘロインの中毒者が、清潔な注射針や安全に注射を行う場所を確保できなければ、本人の意志に関係なく高いリスクを負うことになる。
ゆえにハームリダクションを成功させるためには、リスク行為を取り巻く社会環境の整備が必要条件として要求される。
具体的には、オランダ、スイス、オーストラリアなどで実施されている注射針の交換や注射部屋(injecting room)の提供、メタドンや医療ヘロインの支給、無料コンドームの配付、中毒者のためのシェルター整備などがあげられる。
ただしこれらの実践には、何が合法的に可能で何が不可能かを決定する公共政策や法律との関係が常に考慮される必要がある。
注射部屋の設置には、ドラッグの単純所持と使用の非犯罪化が最低限必要であり、法的な裏付けがなければこれらの環境整備は不可能である。
またHIV予防のためのコンドームの学校などでの配付は、保守的な政治家や教育団体から反対されることが多く、ハームリダクションの環境整備の実現には法律だけでなく社会の一般道徳との整合性も問題となる。
ゆえにハームリダクションの実践には、国や地方公共団体の理解、また広く言えば世論の支持が不可欠であるが、それは他の社会問題と同じく、多くの場合問題が悪化してからしか得られないものである。
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[7] Ibid., p.62.
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またハームリダクションアプローチを行う団体は、そのほとんどが草の根レベルから発生したボトムアップのコミュニティベースの運動で、政府や行政機関によるトップダウン式組織でないという特徴がある。
その多くが元麻薬中毒者やその家族、麻薬中毒者を持つ地域に住む人々によって運営されており、地域住民にとっては中毒者へのサービスの提供が地域の公衆衛生、住環境の改善と直接結びつくため、ハームリダクションプログラムは、サービスの供給者とその受益者が一致した活動:provider-client modelとして定義されることもある。[4]
実践としてのハームリダクションプログラムは次の3つの基本的戦略によって成り立っている。
1)リスク行為を行っている個人、グループへの働きかけ、2)環境の改修、3)社会政策の転換の実践である。[5]
この3つの基本戦略は車の運転を例に説明すると分かりやすい。車の運転は毎年数多くの死者を出すリスクを伴う行為の一つであるが、そのリスクを軽減するために、1)運転手の教育と訓練、2)車と道路の安全対策(シートベルト、エアバック、良く舗装された道路など)、3)運転を規制する法律と政策(速度制限、飲酒運転の禁止、その他の交通法)が、社会的に実践されている。
麻薬の使用に対するハームリダクションでも、この車の運転に伴うリスク軽減と同様の観点から種々のサービスが中毒者に提供されることが目標とされる。
まず「個人とグループへの働きかけ」においては、何らかのリスクを伴う行為を行う人々に、そのリスクを軽減させるための方法が教育プログラムの中で教えられなければならない。
いわゆるJust Say Noポリシー(日本でいうダメ絶対ダメ政策)で行われている予防プログラムとは異なり、ハームリダクションではすでにリスク行為の実践にイエスの選択をしている人々に対しても効果を持つような予防プログラムが想定される。
この教育プログラムには様々な形態があるが、学生、若者を対象としたリスク行為に対するグループディスカッションが一般的である。ここでは、政府や大人の専門家などの権威集団からのレクチャー形式のトップダウン型知識ではなく、参加者、学生からの意見、経験を取り入れた参加者相互間で与えられる情報をベースとする。
ワシントン大の中毒行為研究センターのアラン・マルラットは、ある高校で彼が行った飲酒のハームリダクションの教育プログラムをディスカッション形式の一例として紹介している 。[6]
そこでは未成年者の飲酒という、非合法ではあるが一般的に行われている行為について、学生間で教師を立ちあわさせずに彼らの考えを自由に議論させている。すると議論を通じて、飲酒を行わないもの、既に経験しているものの双方から、飲酒の良い面、悪い面に関する一般的、経験的知識と共に、飲酒に関する数多くの疑問や質問が出てくる。
さらに参加者の関心が強い飲酒にまつわるトピック=参加者が抱える具体的問題(他人に飲めと言われた時にどのように対応すべきか、飲みすぎた友人をどうやって介抱すればよいか、男性と女性の飲酒効果の違い、飲酒のセックスへの影響など)を自由に議論させる。こうした関心の高いトピックに対する議論を通じ、飲酒の善悪両面と、どういう飲酒パターンが危険であるかを生徒に認知させ、飲酒のハームリダクションの実践的知識を生徒に持たせる方法が採用されている。
ここで重要な点は、車の運転と同様に飲酒という行為にコミットすることの結果に対する個人の選択と責任が強調されることである。
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[4] Ibid., pp.53-54.
[5] Ibid., p.58.
[6] Ibid., pp.59-60.
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このような考え方に基づき、ハームリダクション政策では、麻薬使用者に対する禁止政策とは異なる治療アプローチが模索される。
禁止政策の基本的方針であるゼロ・トレランス政策(zero-tolerance policy) では、いかなる非合法麻薬の使用も禁止し、完全な使用の停止を罰則と治療によって達成しようとするため、治療プログラムでも完全な使用の中止を治療における必須条件とし、基本的に麻薬の使用を継続している患者の受け入れは拒否される。
これに対しハームリダクション政策では、使用の中止を望ましいものとは考えるが、必ずしもそれを中毒治療に対するアプローチの必須条件とは考えず、麻薬中毒者にとってサービスを受けやすい敷居の低いプログラムを提供することが前提とされている。
中毒者に対しては、「どこに到達するべきか」ではなく、「現在どこにいるのか」という視点が重視され、段階的な改善が奨励される。[3]
具体的には、麻薬そのものを使用したメインテナンス治療や代替物質治療、また麻薬使用の継続を認めた上でのグループディスカッションなどの治療プログラムへの参加、使用形態のより安全な形(例:清潔な注射針の使用、安全な場所での使用など)への移行などが努力目標として設定される。
またこうした段階的アプローチは、一見薬物使用とは関係がないとみなされがちな中毒者の生活全般の改善努力においても同様に採用される。
多くの場合助けを求めてくる中毒者は、麻薬の使用以外にも、家族、他者関係の悩み、経済問題、副次的な健康問題など多様な問題群を抱えている。禁止政策が、こうした彼らの具体的問題にはあまり関心を示さず、彼らを犯罪者や病人と定義し処罰や治療によって使用の中止を促そうとするのに対し、ハームリダクション政策では、中毒者の多様なライフスタイルの構成要素を全体的に扱い、麻薬の使用法、性交渉の状況、健康、栄養、経済状況、中毒者の人間関係など、中毒者の生活全体への包括的なアプローチを重視し、改善の可能な部分から対処し彼らの生活改善と社会適応を図るプロセスが実践される。
つまりハームリダクション政策とは、麻薬の使用に伴う有害性の縮減という方向性さえ保たれていれば、仮に使用が継続されていても、その方向性に向かうあらゆる努力が採用される、問題に対するプラグマティックな政策といえる。
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[3]Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) op.cit., p.55
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