| 原初的な神道にとって、神は、信じるものではなく、感じるものではないだろうか。 教義も教祖もない。存在への畏怖と、感謝と、祈りがあるだけ。
神を感じる感覚は、根源に還る感覚でもあると思う。 根源とつながっている感覚。 根源との一体感があると、心や精神も安定する。魂も安心、みたいな。 原初的な神道は、神を信じていたのではなく、感じていたのだと思う。
フロッガーさんが指摘したように、国家神道は「西洋の精神的支柱であるキリスト教に代わるもの」として日本社会に導入された。 それは本来の八百万に神が宿る多神教としての「神道」ではなく、極めて排他的な一神教だった。 国家神道は全く神道的ではなかったと思う。 国家神道は、天皇と神を悪用した専制政治、ファシズムに帰結した。
日本人にとって特別な意味を持つ天皇と神の物語を狂気のファシズムに悪用され、 アジアの隣人たちにも、取り返しのつかない、途方もないことをしてしまった。それも、天皇の名において。 日本人の魂が受けているダメージはものすごく深いのだと思う。
広島と長崎に原爆を落としたアメリカ様の言いなりになり、 この国の傀儡権力は今も大麻を弾圧し続けている。
目を覚ませ、ニッポン!
危ない?(^^y-~ 私は右翼でも左翼でもなく、日本人です。 |