| 「百聞は一見にしかず」という諺があるように、人は実際に自分の目で見たものをより強く信じてしまう傾向がある。
これは、文字を通じて知った情報は単なる「知る」にとどまるが、映像を通じて知った情報は自分の感性に直接訴えかけてくるため、、「知る」を超えて「感じる」対象となることを意味している。
この目でそのものを見てしまった以上、もはや信じるしかない、ということだ。
「知る」ことは、「感じる」ことの半分の重要性さえも持っていない。
人間は知っているだけだとほとんど何もしないが、事実を知り、そして何かを感じれば、行動を起こさずにはいられなくなる。
知ったうえで行動を起こさなければ知ることの意味など半減してしまう。
そして、「感じる」ことを可能にする映像の特性は、人を行動へと突き動かす力を持っている。
インターネットで世界中の情報が瞬時に手に入る今日、世の中で起きているさまざまな問題の存在自体は、おそらくほとんどの人が知っているに違いない。
地球環境問題だって、貧困や飢餓の問題だって、その存在はほとんどの日本人が知っているはずだ。
しかし、いくら問題の存在を知っていても、それに対して何ら行動をとらず、解決に向けた一歩を踏み出そうとしなければ、そんな知識にどれほどの意味があるだろうか?
知って、なおかつ何かを強く感じ、行動を起こす。
その何かとは、たとえば「放っておけない」とか、「これはやっぱりどこか間違っている」といった感覚だ。
知ることに加えて、そういうことを感じられるかどうか?
知識が単なる知識にとどまることなく社会変革の原動力になる必要条件は、ここにあるのではないだろうか?
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