カナビス・カップ 2003

カナビス・カップ2003の最新情報をお届けするが、私にはこれが最後のカナビス・カップになるかもしれない・・・

今年のカナビス・カップはスペインのイエーバ・マガジン・クルーの写真担当の一員として招待された。今回は自分の意志で行ったわけではない。このアメリカ人による地上最大のカナビス・ショーはこれまで6回も見てきた。内2回はカップ・エキスポの展示に参加し、4回はゲストとして加わったが、自分の店はアムステルダムにはないので商売上の目的でカナビス・カップにエントリーしたことは一度もない。

カナビス・カップの審判員のほとんどはアメリカ人とカナダ人で自前の交通手段を持っていない。そのために品質を判定するためのサンプルを、公共交通機関を使うか歩くかバスに乗るかして、アムステルダムのコーヒーショップに買いに行くことしかできない。このことは競争がアムステルダムのコーヒーショップだけに限られているということになる。私もエントリーできるが、私のカナビスは専任の審判員に判定されるだけになってしまう。しかし彼らはイタリアの首相と同様に買収で汚れきっていて信用できないのだ。

カップ・エキスポはホテル・アリーナで行われた。昨年まではパックス・パーティ・ハウスで行われていたが、何で変わったのかは知らない。ジョセとペグは新しい会場の前で無邪気にポーズを取っているが、今回のカナビス・カップが彼らに何をもたらすのかまだ分かっていない。主催は420ツアー社の手に渡り、カップを始めたハイタイムス・マガジンは身を引いた。現在は今までと同じ名前で継続されているが、もはや「本当」のマリファナ・マガジンの主催ではなくなっている。

420ツアーのマイク。これまでも私も出たカナビス・カップでは主催側のトラベル・エージェントとしていつも顔をあわせていた。

イエーバのクルーたち。私は写真係なので私は写っていない。みんなはまず太いジョイントを巻いていた。幾人かはカップにエントリーしているカナビスをすでに購入していた。

ペグはテーブルの上に小さな張り紙をはった。曰く、スパニッシュ・スモーキング・コーナー。

イエーバのアート・ディレクター、ゴンザロは最も気に入っているシンセミラ・マリファナの太いジョイントに意識を集中させていた。

オランダは豊潤なところ・・・

カナビス・カップの常連で、見てのとおり、将軍が勲章をつけているみたいにジャッジ・パスを下げていた。スモークをシェアしあえるよき友。

アリババともジョイントした。彼はパラダイス・シードのルークの片腕でどこのイベントでもブースに出ている。アリの本名はパトリックで私と同じハーレムの人間だ。私たちの店の長い常連で、旅に出ていないときにはいつも顔をみせる。

そんなこんなで、気を付かって一人一度に吸えるのは3回までというようにしてランダムにジョイントを回していた。ところが例の東洋人風の背の低い女性がまた出てきた。カップが始まる前日も私はジョイントをたしなめられて、カナビス・カップのスタッフからも従うように言われた。前日だったからしかたなかったが今日は月曜で許されていると思った。女性はわれわれの煙のテーブルに歩いてきてレストラン内ではウイードを吸わないでと苦情を言った。私は唖然とさせられた。私たちは従わなかった。今日は月曜日、マリファナ・マンデーなのだ・・・

火曜にはこんな張り紙がレストランのドアやすべての壁に貼られていた。

水曜になるとレストランだかりではなく、ホールやカップ参加者が泊まっているホテルの部屋のなかさえ至る所にウイード禁止の張り紙が貼られていた。私は憤慨に耐えなかった。もちろんタバコの喫煙は禁止されていないのだ。

エキスポではブースの周りが非常に狭く十分な距離を確保できず良い写真は撮れなかった・・・

エキスポはフロアを2つ使って行われていた。上のフロアはUの字型のギャラリーになっているだけだったが、両側とも先が行き止まりになっていて終日入る人と出る人がぶつかり合っていた。

下のフロアではたくさんの人たちがうごめいていた。

以前のエキスポは昔の孤児院だったところの昔のチャペルだったが、今はホテル・アリーナのコンプレックスで孤児になってしまった。コンサートなどがやれる大きな施設だか、このようなイベントには向いていない。

エキスポの下のフロアは屋根裏まで拡張されて脇にはいくつかのブースと広いベッドが置かれていた。セバスチャンとウズミーはここで一服していた。ゴンザロは横になれる場所を探してノビてしまった。

屋根裏にはガラス・アーティストたちの展示もあった。

ジョジ・セルバンテスがフランスのスモーカー・ミュージアムのブースの後ろ側で創始者のミッカと話をしていた。 www.museedufumeur.net 

ジョセとペグはニルバーナが展示しているバッズを点検していた。

彼らのバッズは見てのようにびっしりしていた。私の店のメニューに入れても上質な部類にはいる。

バブル・バッグの出展したガラス工芸。

バブルバッグではハシシ作りについて熱い議論が行われていた。バブルマンはバブルハシシの用具だけですでに609876回も作ったと説明していた。本当のところは彼にしか分からないが。

ハリケーン・ロボのエントリー。宇宙時代のスモーキング・ギア。

カナビス・カレッジからの魚のエントリー。

スイート・リーフのエントリーはとてもいろいなものが付いている。

THシードのアート・ピース。

これはTHシードがブースで使っていたプラズマ・ポット・パイプ。

今日のKC・ブレインは虫の居所が悪かったらしい。それとも回りの雰囲気が良くなかったのか・・・

ソーマはいつものように種子を売っていた。

素晴らしいボングを手にしたルールの創始者マーチン・ビーゼル。この作品は彼の工房でアメリカの染色ガラス工芸家との共同制作したもの。ルールのバングは素晴らしさを吸い込んでいる。本当に!

セガルマータなどのシード・バンクは生きた植物を展示していた。

かこいいカナビス・プラント。

私個人としてはこのブースが一番気に入った。上質なカナビス・キャンディを取りそろえていた。私の店でもすぐ採用するつもりだ。リファーという製品にはぶっ飛ばされて椅子に釘付けになってしまった。これはアムステルダム近郊のアムステルフェーンにあるチョコラータル Xocolatl という会社で製造されている。

この小人も気に入った。バッズを手におじぎ繰り返す。マガス・ジェネティックの制作。

これがこの日一番のショット。イーグル・ビルに、それぞれの分野で活躍する3人のウイード戦士の写真を撮ってと頼まれた。左はジャック・ヘラー。昨年心臓発作で倒れたが回復中でここに戻ってきた。中央はイーグル・ビル。私の最大の友人の一人で世界をバポライズするという使命を続けている。私は彼との長いつき合いを誇りにしている。右がベン・ドローンカー。センシ・シード王朝の設立者で、二人の連れ合いと会社を本当に楽しんでいる。

この他にも懐かしい人と何人も再開した。それだけでここに来た価値がある。しかしカナビス・カップは腐ってしまった。いつものようにグリーンハウスがハワイアン・ホワイト・スノーで優勝した。以前優勝したバッズを顕微鏡で確かめたことがあるが、バッズには腺毛もなく、まるでポリネートしたあとの葉っぱみたいだった。それでも23.8%のTHC含有というラベルが付けられていた。私は他のバッズが事前にどのよう扱われていたか不思議に思う。

今回もいつものようにグリーハウス勝ったことには後味の悪さを感じる。特に私は、1998年の時にグリーンハウスが大会前に勝つことを分かっていたことを知っているからだ。1998年10月のことだが、フューチャー・バッグにロゴの印刷を頼んでいた店のライターを取りに行ったとき、グリーンハウスのライターも印刷済みで置いてあった。手にとって見ると、そこに印刷されていたグリーンハウスの優勝年のなかには1998年も含まれていたのだ。カナビス・カップが行われたのは11月で1ヶ月前のことだが、大会ではライターの通りグリーンハウスが優勝した。

何年かあとになってグリーンハウスはカナビス・カップを操作しているとして排除されたが、今回再び入り込んできてまた優勝した・・・

確かに、例年と同様に私にはカナビスのエントリーを調べる機会があったわけではないが、いずれにしてもこれが私がレポートすべきすべてだ。次の週にはセビリア・カナビス・コンペティションの撮影が控えていたのでカナビス・カップは3日間だけで切り上げた。セビリアではアムステルダムよりもっとたくさんのエントリーがあるだろう。

がっかりさせたかもしれないが、これがカナビス・カップにはうんざりしている私の見解だ。カナビス・カップはオランダのカナビス文化の名を汚すものになり下がってしまった。

ノル・ファン・シャイク


http://www.hempcity.net/travelreports/thenetherlands/cannabiscup2003/index.html