カナビスとPTSD

脳内シグナリング・システムと作用メカニズム


Dr. David Bearman

Source: O'Shaughnessy's
Pub date: Spring 2006
Subj: PTSD and Cannabis: A Clinician Ponders Mechanism of Action
Author: David Bearman, MD
Web: http://www.ccrmg.org/journal/06spr/perspective2.html


しばしば手に負えない病状にカナビスが有効な例は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に見られる。私は、これまでに100人以上のPTSDの患者さんを見てきた。

カナビスでPTSDの症状が和らいだと言う人たちの中には、ベトナム戦争の退役軍人や、湾岸戦争や現在のイラク戦争の兵士たちばかりではなく、家庭内暴力やレイプなどのトラウマの犠牲者や壊れた家庭に育った子供たちもカナビスから同じような恩恵を受けていた。


心的外傷後ストレス障害(PTSD)

以前は 「砲弾ショック症」 とか 「戦闘疲労症」 とか言われていたPTSDは、心的トラウマに継続して晒されたり、1回だけの非常に恐ろしい体験をした人の多くに発症する重度な症状で、過酷な記憶がおさまらずに絶えず恐ろしい思考がつきまとう。患者の多くが恐怖に包まれた悪夢を経験し、しばしば怒りや心的な孤立感を感じる。

残念なことに、PTSDは決して珍しい問題ではなくごく普通に起こっている。民族・文化・宗教・政治などの理由で日常的に暴力が繰り替えされている国は100カ国以上に及び、毎年、世界中で何百万という人が深刻な心的トラウマの影響を受けている。

隠れた虐待や性的暴力に苦しめられてPTSDになる人や子供もいる。セクハラのトラウマでもPTSDになることもあるほどで、ましては、レイプや誘拐、自動車などの交通機関の重大な事故、洪水や地震のような自然災害、強盗や拷問や監禁などの暴力行為であれば、経験者の多くがPTSDに苦しめられる。

また、PTSDは自分や身近な人の生活が経済的に脅かされたりするだけでも起こることもあり、単に大量虐殺の現場を目撃しだけの記者や救済ワーカーの間にも起こる。


PTSDの症状と発症のトリガー

その原因がいかなるものであれ、PTSD患者は、悪夢や心がかき乱される記憶をトラウマ経験として繰り替えし思い出す。

さまざまな症状が現れるが、それらはお互いに絡み合っている。睡眠障害、鬱、離人感、孤立感、心的しびれ感があり、容易に興奮したり、事あるごとにびっくり驚いたりするようになる。また、以前には楽しかったことへの興味がなくなったり、愛情を感じていた人とトラブルを起こすようになったりもする。トラウマにさらされる以前に比べると、怒りっぽく暴力的で攻撃的になりやすい。

PTSDのトリガーとしては、トラウマを思い出すようなものを見たりして非常に苦痛を感じたことがきっかけになりやすい。思い出すような場所や状況を避けるようになるが、毎年のトラウマ・イベント回忌日が来るとそれも難しい状況に置かれる。また、ごくありふれたことであっても、トラウマを思い出したり、フラッシュバックや嫌な情景を連想するトリガーになることもある。戦争の映画やイラクのテレビ映像などもトリガーになる。

PTSDを患った人は、普通の刺激に対して極端に不釣り合いな反応を示し、過剰だったり逆に全くに無関心だったりする。フラッシュバックが起こると、稀には数日に及ぶこともあるが、普通は数秒間から数時間にわたって現実の感覚が失われて過去のトラウマ・イベントの映像や音・匂い・心的経験や感覚が蘇って繰り返され、追体験するようになる。

PTSDの症状とすれば、下にリストしたように軽いものから重度のものまで幅広いが、全般的にすぐにイライラしたり暴力的になりやすく、重度の場合は仕事や社会生活にも支障が出るようになる。

  • 感情の制御が難しくなる。例えば、持続的な鬱、抑えられた怒りの爆発、攻撃と防御の繰り替えし、性的能力の喪失など

  • 意識が混乱する。例えば、健忘症、心的感情や感覚の分裂など

  • 離人症や反芻(何度も同じ事を考える)

  • 自己認識のネガティブ化。例えば、無力感、恥感覚、罪悪感、自己非難、自己処罰、汚名感覚、孤独感など

  • 加害者への意識の変質。例えば、歪んだ信念や価値観への倒錯、パラドキカルな感謝心、加害者の理想化など

  • 他人との関係性の崩壊。例えば、孤立化、引きこもり、信頼感の喪失、家族関係の喪失、再び自分が犠牲者になることに抵抗できなくなるなど

  • 生活における意味の変質。例えば、希望や信頼感の喪失、以前続いていた信念の喪失、失望感など

  • 絶望感、自殺念慮、ものごとに対する強い固執

  • 身体化障害。例えば、消化システムの持続的な障害、慢性痛、呼吸数の増加、胸の痛み、めまい、動悸など


恐怖の条件付け実験

こうしたPTSDの症状緩和にカナビスが効くという証言は、数多くの患者から語られている。帰還軍人にはPTSDを患っている人が多いことはよく知られているが、彼らは、カナビスを使って怒りや悪夢、あるいはレイプ衝動をコントロールしている。

最近では、カナビスがどうしてPTSDに有効なのかを解明しようとする研究が進んでいる。まず問題になるのは、同じトラウマ・イベントを経験してもPTSDにまでなる人とならない人がいること、どのような場合にPTSDが癒されるのかという全体像を把握することにある。

動物実験で恐怖記憶に関わる神経細胞的メカニズムを調べるためには、しばしば 「恐怖の条件付け」 という方法が使われる。動物に与える刺激には、条件刺激と無条件刺激(嫌悪刺激)の2種類がある。

条件刺激は音や光といったニュートラルで不快でない刺激だが、これに対して無条件刺激は、足に電気ショックを与えるといった恐怖感をもたらす刺激になっている。この2つの刺激は前後してペアにして使われる。

条件刺激に続づけて無条件刺激を何度か与えて条件付けを行うと、恐怖に怯えて鼓動や血圧の変化や動作の硬直を起こすようになるが、一旦こうなると条件刺激を与えただけでも条件反射的に恐怖を起こすようになる。

しかしながら、条件刺激だけを繰り返していると、動物は音や光に続いてもはやショックが起こらないことを学んで恐怖反応が消失していく。


恐怖記憶の形成と消失

感情記憶の形成については、大脳辺縁系にある視床下部、海馬、扁桃体など、特にカナビノイド・レセプターCB1が豊富に存在する場所で制御されていることが知られている。

その中でも、大脳の下にあるアーモンド型の小さな扁桃体は、恐怖の記憶を取り入れて蓄積するのに決定的な役割を果している。細胞や分子のレベルで見れば、恐怖などの含めた学習行動は、扁桃体側底部の神経細胞に作用してシナプス可塑性を生じて、他の神経細胞とは結合の強さが変化する。

一方、カナビノイド・レセプターCB1は、中枢神経システムの中では最も豊富に見られる神経レセプターで、小脳や脳幹神経節、さらに大脳辺縁系に多いことが見出されている。また、鎮静作用や記憶変化をもたらすような外部生成カナビノイドによって起こる典型的な行動への影響は、大脳辺縁系や線条体のCB1レセプターの存在と深く関連している。

2003年には、ドイツ・ミュンヘンのマックス・プランク精神医学研究所の ジョバンニ・マルシカーノ の研究チームが、CB1レセプターのないマウスと普通のマウスを使って恐怖の条件付け実験を行っている。

その結果、CB1のないマウスは、音に続いた恐怖ショックに怯えやすくなり、電気ショックを中断しても恐怖から開放されなかったが、これに対して、普通にCB1を備えたマウスでは、音と電気ショックの関連がなくなるとそれを学んで恐怖を起こさなくなった。

このことは、過去の経験を思い出すことによって引き起こされる悪感情や痛みを忘れ去るのにエンドカナビノイドが重要な役割を果たしていることを示している。また、この発見によって、カナビノイド・レセプターの密度レベルが極端に低い場合やエンドカナビノイドの放出が少ない場合に、PTSD、恐怖症、特定の慢性痛などが発症するのではないかという見方が出てきた。


カナビスによる逆行性シグナルの退化

この見方については、多くの人や帰還兵たちが不安やPTSDの症状を減らすためにカナビスを使っている事実を考えれば間違っていないと思われる。また、実現にはほど遠いいが、天然のエンドカナビノイドに似せた薬を使うことで、過去の危険に結びついた学習記憶のシグナルをもはや現実的に意味のないものとして処理することができるようになるとも考えられる。

実際、多くの医療カナビス患者たちは、カナビスを使うことで、医師たちが学校では何も習っていないようなシグナリング・システムが体内で働いていることを何となく実感してきたが、最近では、このシステムはエンドカナビノイド・システムと呼ばれて急速に研究が進んでいる。

このことについては、カリフォルニア大学のR.A.ニコルとメリーランド大学のB.E.アルガーがサイエンティフィック・アメリカン誌に次のように書いている(“The Brain’s Own Marijuana” Scientific American, December 2004、『脳内マリファナを医療に生かす』 日経サイエンス 2005年3月号)。

「研究者たちは、最近、脳内にはこれまで全く知られていなかった新しいシグナリング・システムが存在することを次々と解明してきたが、こうした神経細胞の伝達については15年前には誰ひとりとして予想もしていなかった。このシグナリング・システムを十分に理解すれば、これまで考えられなかった応用も可能になるに違いない。システムの詳細からは、不安や痛み、吐き気、肥満、脳障害などを始めとするさまざまな疾患を治療するための手掛かりが見つかるだろう。」

臨床医としての私から見れば、恐怖を思い出させるような逆行性シグナルの退化というコンセプトが極めて有用だと考えている。逆行性シグナルの退化というモデルを用いれば、私自身だけではなく患者たちにもPTSDがなぜカナビスで緩和されるかを上手に説明できるからだ。


カナビノイドがフリーなドーパミン量を増やす

また、現在の医学学校では脳の70%については教えているが、残りの30%については何も教えていないが、これからは、脳が体内と体外からの感覚流入を調整したり制限するように作られていることを基本に教えていく必要があるだろう。

神経伝達物質であるドーパミンには、脳の切断スイッチの一つとしての働きがあるが、エンドカナビノイド・システムにはそうしたドーパミンの作用を促進する働きがのあることが知られている。

ドーパミンは通常ドーパミン輸送体の中に入っているが、私は、エンドカナビノイドによってドーパミンが外に引き出されてフリーになり、恐怖を思い出す逆行性の阻害物質として働くのではないかと考えている。カナビスによってドーパミン輸送体から放出されたドーパミンは、大脳辺縁系への刺激の流入を減らして、扁桃体への過剰刺激を抑える。

また、脳がPTSDを引き起こすトラウマに晒されるとドーパミン輸送体の生成が増加するのではないかとも考えている。新しく生成されたドーパミン輸送体は、周辺のフリーなドーパミンを取り込むので、脳内のフリーなドーパミン・レベルが通常よりも低下してその分だけ神経チャンネルが多くオープンしてしまう状態になる。

これによって、中脳や大脳皮質に刺激が過剰流入するようになり、追い詰められた当然の反応として、怒りやレイプ衝動、悲嘆や恐怖感が表出してくると考えることができる。

しかし、カナビスを使ったり、天然のエンドカナビノイド(アナンダミドや2-AG)の侵出を増やせば、ドーパミン輸送体とドーパミンの奪い合いが起こるが、カナビノイドの活性のほうが強いのでフリー・ドーパミンのレベルが正常域まで回復して、その結果、逆行性を阻害する働きが強くなる。

神経刺激の流入が抑制されれば、中脳や大脳皮質へのネガティブが刺激も減ることになる。脳が刺激に過剰に晒されなくなれば、大脳皮質の反応も正常化して、恐怖記憶の処理も通常に行われるようになる。


カナビスはPTSDのユニークで有用な治療法

私は多数のPTSD患者から、「カナビスが人生を救ってくれた」 とか 「カナビスによって人と交わることができるようになった」、あるいは、「カナビスが怒りをコントロールしてくれる」 とか 「カナビスを吸っているときは、悪夢に悩まされることはほとんどない」 といった話を何度も聞いてきた。カナビスがなけれは、自分や他人を殺したり傷つけていたに違いないという人たちもいる。

私は、これまでカナビスがPTSDのユニークで有用な治療法であることに疑いを持ったことはない。化学者がその詳細なメカニズムを解明する日が来ることを信じている。

2008年3月には、最新のファンクショナル磁気共鳴画像法(fMRI)を使って、恐怖感や感情記憶に関係する扁桃体の活性がTHCで抑制されることが人間の脳の映像で確かめられている。

カナビスが社会不安障害を和らげる  (2008.4.18)