カナビスにおける害削減とは

アンチ・ドラッグ政策から ウイズ・ドラッグ政策へ

Update: Aug, 2008
Author: Dau, Cannabis Study House


当然のことながら、害があるから害削減という考え方が出てくる。もし、カナビスが無害ならば最初から害削減などは必要ないことになる。

実は、「カナビスには害がない」 と最もよく言っているのはカナビス反対派の人たちだ。これは、ないことをあることにして相手を攻撃する詭弁論法の 常套手段 で、カナビス擁護派の人たちがそう主張していると勝手に決めつけた上で、もっともらしい害を指摘して擁護派は間違っていると追求する。

だが、実際、少なくともカナビスのことをよく知っている擁護グループでカナビスが全く無害だと主張しているところはない。

確かに一般論として、アルコールやタバコなどと比較すれば、カナビスの方がよほど安全性が高いとは言えるのでそう主張している グループ はある。しかし、だからと言ってカナビスの害に無頓着なわけではない。未成年には害になるので禁止しておくことや、運転時の使用については誰もが反対している。

また、入手したカナビスの異物混入や過剰な殺虫剤やカビなどの汚染の可能性も懸念されている。過剰摂取でバッドトリップになることもあるし、カナビスが全く体質に合わない人もいる。こうしたリスクがあることは多少経験を積んだ人ならば誰でも知っている。実際そのことは、カナビス文化では 「セット・セッティング」 という概念がごく当たり前のこととして受け入れられていることを見てもわかる。


害削減にはウイズ・ドラッグ政策が必要

害削減という概念は、その対象の捉え方によって意味が全く異なる。社会経済に対する害なのか、特定の道徳に対する害なのか、あるいは、個人の健康に対する害なのか、企業の利益に対する害なのか?

ドラッグ反対派は、ドラッグを禁止して処罰し、根絶すればすべての害はなくなると単純に主張する。「ドラッグやめますか、それとも人間やめますか?」 というわけだが、確かにドラッグを使う人間が全部いなくなればドラッグ問題もなくなる。

しかし、人間だからドラッグをやるのであって、ドラッグのない世界とは人間が絶滅した世界でしかありえない。飲酒の習慣をみてもわかるように、ドラッグを使うのは人間の本質と結びついている。人間の知恵の所産でもある。

しばしばアンチ・ドラッグ教育では、カナビスはヘロインやコカインやアンフェタミンと同じように危険だと子供に教える。しかし、子供は成長する。やがてカナビスでは死んだりしないことをと知った子供たちは、大人の言っていることは全部嘘に違いないと思うようになって、ヘロインも危険ではないと考えるようになる。

またアンチ・ドラッグ教育では違法ドラッグばかりを目の敵にして、合法的な処方医薬品がヘロインやアンフェタミンにように危険だと教えないので とんでもない悲劇 を引き起こしたりもする。実際、アメリカでは、ドラッグフリーの人生を送ることを誓ったリストバンドをした高校生が、ビールを飲みながら抗不安剤と強力な鎮痛剤を粉にして鼻から吸って死亡した事故が発生している。

結局、アンチ・ドラッグ政策には害削減という概念自体がなく、これまでの事実からも明らかなように、巨額な資金と人材を投入しながらも害は増えるばかりで何も解決することはない。それは、根絶するという理念に寄り掛かり過ぎて、データに裏打ちされた事実を知ろうしなくなってしまっているからだ。

害削減のためには、人間はドラッグを使う生き物だということを前提に事実を正面から見つめ、どうしたら社会や個人への害を少なくしてドラッグと賢く付き合えるのかを考えるウイズ・ドラッグ政策への転換が必要なのだ。


カナビスの害削減では各論が重要

カナビスのよるユーザーの健康面での主要な問題は呼吸器疾患と精神症に集約されている。また、それに対する害削減の方法とすれば、カナビスの品質と摂取法の2つに大別することができる。

しかしドラッグの害削減という話題になると、特に社会学者などの専門家の議論では、ヘロインの注射針交換プログラムやメタドン療法などが中心になって、カナビスのことはせいぜい総論が語られる程度しか出てこない。

これは、カナビスによる害が他のドラッグに比べれば深刻度が低いことも関係しているが、実際には、カナビスの種類や使われ方が多様過ぎて、カナビス文化に馴染んで十分な知識がないと語ることができないという事情も反映している。最近では、それに医療カナビスの利用が盛んになってきているという事情も重なってきている。

例えば、バポライザーの構造や働きを知らなければ、具体的にどのような害がどのように削減されるのか語ることはできない。カナビスの燃焼温度やアルミの融解温度を知らなければ、アルミフォイルや鉛などの金属吸引による害を指摘できない。

国や地域によっては、喫煙器具やジョイント・ペイパーの販売を禁止したりしようとしているところもあるが、それによって起こることは、簡単に作れるアルミフォイルのパイプの利用や印刷インクまみれの辞書の薄い紙の転用などで、害のリスクがかえって増えてしまう。しかし、それを的確に指摘する害削減の専門家はほとんどいない。

少なくともカナビスにおいては害削減の総論を語っているだけでは何の役にも立たない。各論こそ害削減の要なのだ。害に立ち向かう一番の武器になるのは、具体的な個々の知識とそれをベースにした教育なのだ。


カナビス禁止政策は害を増やす

もちろん、個々の害削減を積み重ねても全体として十分な害削減が得られるわけではない。カナビス反対派だけではなく擁護派であっても、心身の発達途上の未成年者は、カナビスだけではなくアルコールやタバコも含めどのようなドラッグであっても使うことを好ましくないと考えている。

だが、目標が同じであっても、カナビス反対派と擁護派それぞれが考える取り組みは方向が全く異なる。基本的に反対派の人たちには害削減という考え方がない。カナビスを非常に危険なものだと主張する。自分たちの 「正義」 を実現するためには、どのような費用や犠牲も厭わない と考える。

アルコールの場合は、使用と乱用を区別して考えるのが当たり前で、警察は無責任な乱用を止めさせることに焦点を当ている。分別あるアルコール・ドリンカーを逮捕したり投獄したりもしない。しかし、カナビスの場合は、分別あるユーザーも乱用しているユーザーも区別せず、すべてのユーザーを 「乱用者」 と呼んで厳しく取り締まろうとする。

一見すると禁止法は究極的な解決法に見えるが、結局そこにあるのは乱暴な妄想だけで、実際には何のコントロール機能も持っていない。禁止されている状況では、脅しによる教育しかできず、害削減のガイドラインさえ示すことはできない。流通しているカナビスの品質の管理もできない。有害な混入物の入った偽装カナビスの危険を減らすこともできない。それによって、害の削減どころかリスクを拡大してしまう。

さらに最悪なことに、カナビスを供給している巨大なブラック・マーケットを規制することもできない。犯罪組織は儲けを少しでも多くしようとして、未成年かどうかに関係なく金を払う者なら誰にでもカナビスを売りつけようとする。

カナビス禁止政策は流通をコントロールする方法を待たず、直接的な被害者のいない犯罪であるために、法執行に当たっては密告と口を割らせることに頼らざるをえないという不健全な構造を内包している。だが、密告を奨励し、ドラッグテストで脅すような教育では、特に若者たちの信頼を獲得することはできない。


総合的害削減は、合法化して規制管理し、年齢制限を設け、教育指導をする

いずれ、子供たちは大きくなってから、カナビスを使っていてもほとんどの人が普通に生活して、りっぱな業績をあげている人もたくさんいることを知ることになる。医療カナビスで元気を回復した人やお年寄を身近に見ることにもなる。

アルコールやタバコにしても、大人では問題なくても未成年では危険だから禁止されている。その前提があるからこそ説得力のある教育ができる。これは、運転や結婚、売買契約などでも同じだ。ところが、現在のカナビス禁止法のもとでは、未成年の時にはカナビスを使うことが危険なので少なくとも成人するまでは我慢しろ、と教えることもできない。当然のことながら、違法であれば安全な使い方なども指導できない。

未成年者たちがカナビスのリスクを犯さないように年齢でコントロールするには、カナビスを合法化して、アルコールやタバコと同じように年齢制限を設けた上できちんと規制する必要がある。そもそもカナビスの使用が完全に無害であるなどということは他のドラッグと同様にあり得ないのだから、規制してコントロールできるようにすることが重要なのだ。

合法化は自由化を意味するわけではない。栽培や販売を規制・課税してコントロールすることで、未成年者への販売を禁止し、製品の質を表示して保証することで正しい使い方のガイドラインを設けることができる。得られた税金は、未成年者のドラッグ教育に使うこともできる。

数年前、オランダのドラッグ政策機構は次のように書いている。「カナビスの健康リスクは非常に限定されたものだが、完全に無害というわけでもない。もし完全に無害ならば、お茶などと同じルールを適用することができるが、明らかに健康リスクを伴うので、カナビスには特別な法的規制システムを用意する必要がある。カナビスを自由に利用できるようにすべきではないが、規制を設けることでごく普通のものとして寛大に扱うことができる。」
カナビスと精神病の問題、法規制によるコントロールの必要性